「基礎」~ユニゾン、スケール、パターン練習
今回は5度まで行きました。
「TACOSCHATZ1」~14曲
何が違うかというとね…
まず、楽譜を使わない。
下準備としてごくたまに楽譜を書いて用意しておくこともあるけど、皆にその楽譜を持たせて練習することはしない。
この練習(というか本当は遊びなんだけど)は、あくまでも音楽の「言葉」の練習であって、楽譜を読む練習ではないので楽譜を見ての練習にしない。
これはコールユーブンゲンと大きく違うところやろね。
次に、無駄な音は歌わない。歌ってはならない。
これ、どういうことかというと、例えば3度の「ドレミレド」というパターンだと、上行して最後は「シドレドシ」で終って、その上のオクターヴ上の「ドレミレド」は決してやらない。
だって、もう最初にやっているからね。
この辺もコールユーブンゲンと違うんだよね。
この効率的なところというか、パターンを皆平等に扱ってえこひいきをしないというところが「美しい」と思うんだよね。
こういう美しさってのは、細かいことのようだけど、とっても大事だよ。
それから、いつも同じパターンの繰り返し練習だけではなく、パターンをアドリブでその場でどんどん作っていくってことだね。
この創造性が、物凄く大事で、これが単なる音程練習と全く別次元なんだよ。
つまりこれはね、作曲のトレーニングなんだよ。
それも、パターンを作るのはTACOだったりのその場のリーダーというか「親」だけど、そのパターンを音階の上に当てはめて歌うという作業、実はこれこそが作曲のとても大変な作業をやっているんだよね。
いや、別に皆に作曲家になって欲しいというのではなくてね、つまりそうやってただ既成にあるものを再現しているだけでなくて、その場で瞬時に創造しながら歌っているというのが、物凄く大事で、凄いことなのよ。
勿論慣れてくれば、なんにも考えなくても歌えるようになるけど、それだって楽譜を読みながらではなく、まるで普段やっている会話と同じように、自分の頭の中にある音(の記憶とか組み合わせ)を辿りながらやっているわけで、これはこれで大変な創造性を持っているわけよ。
Solfa!って所は、楽譜を自分で移動ドで読んで歌う合唱団だけど、その前には、或いはその前提には、こういう自分でまず「喋れること」が出来るのが絶対なんだよね。
言葉もそうだよね、赤ん坊で最初から本で言葉を覚える奴なんていないよね、まず喋れるようになってから、読むようになる。それと一緒。
その喋れる為の効率的な基礎訓練がパターン練習って奴で、つまり、このパターン練習なくして、移動ドの読譜はない、ってぐらい大事なことなんだよ。
それから、このパターン練習はそれ自体が既にとても美しいってこと。
音楽の美しさの一つは、音階そのものの美しさに尽きるといっても過言じゃなくて、パターン練習はその音階の規則的な組み合わせだから、美しくないはずがない。
逆に言えば、この練習が「美しいなぁ」と思えるようになること、そしてそれが当たり前に感じるようになることが、音楽的感性を磨くには一番大事かもしれない。
世の中に溢れているような複雑な音楽では全然なくて、もっとも単純な美しさかもしれないけど、でもこの美しさこそが一番大事だと思うね。
そして、さらにこれをちょっと工夫すれば直ぐにハーモニーの練習になる。
この一見何でもない単純な旋律が、ちょっとした組み合わせでいきなりハーモニーになるのは、とても感動的だと思うんだよ。
これね、毎回思うね。飽きないんだよ。
で、それらをその場でアドリブで作っていくというこの楽しさったらないよ。
つまりは、これは練習だけど、純粋な音遊びなんだよ。
最後に、これは本末転倒っぽいことなんだけど、この練習は勿論一人でもやれるけど、皆と一緒にやった方が100倍楽しいし、一緒にやったほうがメチャクチャ効果的だってこと。
つまりこのパターン練習は、合唱でやったほうが絶対イイし、本来音階練習はそうして練習するべきものだと思うね。ええ、狂信的にね。
だけど色々忙しくなると、どうしてもこういう基礎練習っておろそかになると言うか、後回しになってしいがちだけど、今のSolfa!みたいに新しい人が入ってきてくれると、こういう練習を丁寧にやれて、また気持ちが新たになるから有難い。
初級者(という言い方は失礼ですが)の為の練習というのは、実は一番大事なエッセンが詰っていたりする。
そこそこ出来てくると、そういうのを忘れてしまうと言うか、頭デッカチになったり、傲慢になりやすい。
大学の合唱団で新入生が入ってくる時もそうなんだけど、こういう機会に自分自身もリセットできるのは、本当に幸せだと思うね。
ということで、今回も激しく我田引水、自画自賛的考察。ヒヒヒ、ザマミロ。
てことで、しばらく楽譜はTACOSCHATZ1を使いますよ。
まだまだソルファ読みオンリーで行くからね。
今回は5度まで行きました。
「TACOSCHATZ1」~14曲
018 キラキラ星変奏曲
019 どんぐりころころ
020 久しき昔
021 荒城の月
022 乾草の歌
023 エーデルワイス
024 一週間
038 Happy Birthday To Hime!
015 ルージュの伝言
016 Amazing Grace
017 世界の約束
025 ひらいたひらいた
026 庭の千草
027 ぶんぶんぶん
基礎練習でやっているパターン練習なんだけど、これ、実は単なるそんじょそこら?の音程の基礎練習じゃないんだよね。
何が違うかというとね…
まず、楽譜を使わない。
下準備としてごくたまに楽譜を書いて用意しておくこともあるけど、皆にその楽譜を持たせて練習することはしない。
この練習(というか本当は遊びなんだけど)は、あくまでも音楽の「言葉」の練習であって、楽譜を読む練習ではないので楽譜を見ての練習にしない。
これはコールユーブンゲンと大きく違うところやろね。
次に、無駄な音は歌わない。歌ってはならない。
これ、どういうことかというと、例えば3度の「ドレミレド」というパターンだと、上行して最後は「シドレドシ」で終って、その上のオクターヴ上の「ドレミレド」は決してやらない。
だって、もう最初にやっているからね。
この辺もコールユーブンゲンと違うんだよね。
この効率的なところというか、パターンを皆平等に扱ってえこひいきをしないというところが「美しい」と思うんだよね。
こういう美しさってのは、細かいことのようだけど、とっても大事だよ。
それから、いつも同じパターンの繰り返し練習だけではなく、パターンをアドリブでその場でどんどん作っていくってことだね。
この創造性が、物凄く大事で、これが単なる音程練習と全く別次元なんだよ。
つまりこれはね、作曲のトレーニングなんだよ。
それも、パターンを作るのはTACOだったりのその場のリーダーというか「親」だけど、そのパターンを音階の上に当てはめて歌うという作業、実はこれこそが作曲のとても大変な作業をやっているんだよね。
いや、別に皆に作曲家になって欲しいというのではなくてね、つまりそうやってただ既成にあるものを再現しているだけでなくて、その場で瞬時に創造しながら歌っているというのが、物凄く大事で、凄いことなのよ。
勿論慣れてくれば、なんにも考えなくても歌えるようになるけど、それだって楽譜を読みながらではなく、まるで普段やっている会話と同じように、自分の頭の中にある音(の記憶とか組み合わせ)を辿りながらやっているわけで、これはこれで大変な創造性を持っているわけよ。
Solfa!って所は、楽譜を自分で移動ドで読んで歌う合唱団だけど、その前には、或いはその前提には、こういう自分でまず「喋れること」が出来るのが絶対なんだよね。
言葉もそうだよね、赤ん坊で最初から本で言葉を覚える奴なんていないよね、まず喋れるようになってから、読むようになる。それと一緒。
その喋れる為の効率的な基礎訓練がパターン練習って奴で、つまり、このパターン練習なくして、移動ドの読譜はない、ってぐらい大事なことなんだよ。
それから、このパターン練習はそれ自体が既にとても美しいってこと。
音楽の美しさの一つは、音階そのものの美しさに尽きるといっても過言じゃなくて、パターン練習はその音階の規則的な組み合わせだから、美しくないはずがない。
逆に言えば、この練習が「美しいなぁ」と思えるようになること、そしてそれが当たり前に感じるようになることが、音楽的感性を磨くには一番大事かもしれない。
世の中に溢れているような複雑な音楽では全然なくて、もっとも単純な美しさかもしれないけど、でもこの美しさこそが一番大事だと思うね。
そして、さらにこれをちょっと工夫すれば直ぐにハーモニーの練習になる。
この一見何でもない単純な旋律が、ちょっとした組み合わせでいきなりハーモニーになるのは、とても感動的だと思うんだよ。
これね、毎回思うね。飽きないんだよ。
で、それらをその場でアドリブで作っていくというこの楽しさったらないよ。
つまりは、これは練習だけど、純粋な音遊びなんだよ。
最後に、これは本末転倒っぽいことなんだけど、この練習は勿論一人でもやれるけど、皆と一緒にやった方が100倍楽しいし、一緒にやったほうがメチャクチャ効果的だってこと。
つまりこのパターン練習は、合唱でやったほうが絶対イイし、本来音階練習はそうして練習するべきものだと思うね。ええ、狂信的にね。
だけど色々忙しくなると、どうしてもこういう基礎練習っておろそかになると言うか、後回しになってしいがちだけど、今のSolfa!みたいに新しい人が入ってきてくれると、こういう練習を丁寧にやれて、また気持ちが新たになるから有難い。
初級者(という言い方は失礼ですが)の為の練習というのは、実は一番大事なエッセンが詰っていたりする。
そこそこ出来てくると、そういうのを忘れてしまうと言うか、頭デッカチになったり、傲慢になりやすい。
大学の合唱団で新入生が入ってくる時もそうなんだけど、こういう機会に自分自身もリセットできるのは、本当に幸せだと思うね。
ということで、今回も激しく我田引水、自画自賛的考察。ヒヒヒ、ザマミロ。
てことで、しばらく楽譜はTACOSCHATZ1を使いますよ。
まだまだソルファ読みオンリーで行くからね。