ハイハイハイ


TACOたこさんウインナー(ё)ξコケッ!!


え?↑、よくわからん?でしょーねぇ。いや、私の流行でね。


え~、先日の日曜日はお休みを戴きまして、私は長崎へ行って来ました。

合唱界の巨悪の根源、音の暴力組織、鼻つまみ者、ババテシことBarber TESHIMAの一味として、長崎の合唱祭に乗り込みましたよ。

やっぱり最悪のパフォーマンスだったね。

ステージに上がるなり、それも各人例によってバラバラなんだけど、ヤブドク6はいきなり観客に拍手を強要したね。

で、その後ろくに挨拶もせんでいきなり演奏。

で、プログラムの2曲が終わったら、無理やりアンコールを強要。

終わったら、挨拶もバラバラで適当で、そそくさと退場。

自分達の演奏が終わったら一応エンディングまで居たんだけど、なんか客席でブツブツ言ったり、ステージに上がった超美人ピアニストのヒー先生に勝手に手を振ったりね。

で、終わったら、お世話になった関係者の方々にろくに挨拶もせずに、逃げるように会場を後にしたね。

私も、後から考えたら、かの偉大なる合唱界のミラクルマジシャン、松川大先生にも一言も挨拶無しで消えました。

全く、失礼も甚だしいよな。


ま、素行はこんな具合でいつもどおりだったんですがね、実は今回の演奏は、ババテシにとってはちょっと記念すべき演奏、少なくとも私にとっては、「感無量」ってとこがあったんです。

それはですね、2曲演奏したうちの1曲がね、このバーバーショップの世界では、ま、伝説的で神聖にして犯すべからざる1曲でしてね、私もこの世界に入る、ある意味きっかけになった曲なんです。

ごく私的なことなんですが、約3年前のババテシの丁度創世記の頃に、時を同じくして、大学の先輩からバーバーショップの楽譜やら、DVDをいただいたんです。

そのDVDが実は伝説のDVDでね、で、その中の最後のクライマックスに歌われる曲が今回歌った曲なんです。

その当時、私はもうこのDVDに嵌ってしまって、もう何度も何度も見て、本当に毎回涙してたんですよ。

そんな曲をね、まさか自分が本番で歌えるなんてね、本当に思ってもみなかった。

ババテシの店長、風牛も1年以上前に既に耳コピで楽譜を作ってきて、歌ってみたんだけど、その時は全然ダメでね、あぁ、ヤッパ、難しいわ、無理だわって思ったんですよ。

ところがね、ヤッパ人間何か一所懸命やってりゃ道が拓けるね。

そう、1年ぐらい前になるかね、やたらと難しい曲をやってたんですよ。

で、その時の練習でちょっとこの曲をさらったんだよね。

そしたら、意外にも簡単っぽくてね。もしかしたらやれるんじゃないかと思ったね。

でもって4月ぐらいからこの長崎の合唱祭に向けて、トライしたわけですよ。

いやあ、確かにね、難しかった。

でもね、いや、詳しく言うとキリがないんで端折りますがね、とにかく何とかなるレヴェルに来てましたね。

で、今回思い切ってやっちゃったわけです。

ま、本番の出来はね、色々とね。

でも、昨年の同じステージに比べリャ、随分良かったんじゃないですかね。

私としては、本当にそういう意味では今回の演奏は嬉しかったし、ちょっと感無量でしたね。

でも、ちょっち上手くいかなくってね、物凄く悔しい思いを残してしまいました。

本番は難しいよ、ホント。

でも、まだまだそれぐらいギリギリの実力だって事だね。

でもちょっとなんだか一つ視界が広がった気はしますよ。

ホント、とにかく続けてやってりゃ出来ることってあるもんだなと思いますよ。



でね、ここから例によって、TACOのイタダケナイ天邪鬼トークです。

良い子は読まないようにね。

それにしても合唱祭というのは、実に多くのことを感じさせてくれますね。

いや、馬鹿正直に超忌憚無く言うとね、あまり良い所を見つけることが出来ないんです。

それは、振り返ってみれば、ババテシだって、或いはChor Solfa!だって、あかでみだって、同じように見えてるかもしれないということで、そういう意味ですごく勉強になることなんで、あえてここに書いとこうと思うんですけどね。

なんていうかね、上手い下手いということは別にして、見てて許せることと、何というか、こう、ちょっと違うんぢゃない?って思うことがあるね。

ま、簡単に言うと、独りよがりな演奏だったり、演出だったり。

自分達が楽しんで歌ったり、動いたり、衣装を着たりすることそのものは悪くないけど、それがお客さんにどう見えているか、少し考えたほうが良いんぢゃないかなぁと思ったりね。

また、そういうことをする前に、ちょっとやることあるんじゃない?って思ってしまったりね。

そのひとつがね、これ、関係ないように思えてやっぱりちょっと結構関係があって大事だと思うことなんだけど、「並び」なんだよね。

なんて言うか、決まったようにひな壇に並んだり、横一列に並んだりって、そりゃ、大勢で歌う時はそれでいいけど、小アンサンブルの時に、決まったように普通のコーラスやるように並んで本当にいいのかなと思ってしまいますね。

特に今回のステージは、歌い出してわかったんだけど、ビックリするぐらいステージがデッド(つまり響かないというか声が通らないというか)でね。

ババテシでもちょっとそういう情報があったから「今回の会場はデッドだから、出来るだけくっついて歌おう」って対策立てたんだけど、それでも歌ってみてメンバーの声を聴いてハモリを確認するのがちょっと大変だった。そんなんなのに、みんな結構平気で離れて立ってるし、横一列で歌ったりしてるし、それで他のメンバーの声が本当に聴こえてるのかなぁと思ってしまいまいたね。

これはね、ひとつはね、結局、既成の良くある合唱のスタイルに対する先入観だったり、或いはいつもの練習スタイルに寄るものだと思うんだけど、やっぱり演奏する場所によって、どう並べばまずは自分達の音が自分達に聴こえるか、つまりモニターできるかということはかなり考慮して、並びもそれに対して柔軟にいかないといけないんじゃないかと思いますね。

演奏において自分達の声がどう観客に聴こえるか、ということ以前に、どう自分達同士で聴こえるかということの方がまず大事で、自分達の声が自分達で拾えないというのは最も恐れるべきことだと思いますね。


で、この並びの事を考えてみるとね、ひとつ大事なポイントを発見したね。

つまりね、ちょっとババテシのことを引き合いに出して、自画自賛的で申し訳ないんだけど、ババテシを嘘でもご贔屓でもいいから褒めてくれる言葉で、「4人が楽しそうに歌っている」という、まあ、極々当たり前の褒め言葉を戴くわけです。

まあ、あかでみでも最もよく聞かれる褒め言葉?(というかあかでみはほとんどこれしかないか)、Solfa!の演奏会でもいただいたことがありますが、これね、今改めて思うとね、アマチュアの音楽人間にしてはまず最初に戴くべき最大の賛辞じゃないかと思うんですよ。

つまりね、ま、実際楽しいんだけど、楽しんで音楽をやっている、というのが伝わる演奏というか、姿というか、それこそがまず何より大事というかね。

「いや、皆楽しくやってるに決まってる」って。

そうなんですよ。

でも、それがちゃんと見えるかどうかってね、物凄く大事だと思うんだよね。

いや、本当は別に姿に見えなくても良い。音を聴くとそれが分かればそれでいいんだけど。

でもね、例えば「並び」ひとつ取っても、今から自分達の音楽をここで最大限作り出して楽しもうとする並びなのか、どうかって、なんか見える気がするんだよ。

そしてそれがさ、なんというかお行儀良くって言うより、結構そっけなく並んで、で皆上手で多分勿論聞きあいながら歌ってるんだろうけど、なんとなく其々が皆前だけを向いて歌っているような雰囲気があったりすると、本当にこの人たちは、仲が良くってお互いにちゃんとコミュニケーションを取りながら音楽してるのかなぁと、邪推してしまう。これですごく上手けりゃ勿論文句どころか「参りました」ってことになるんだろうけど。

例えば、バーバーショップでは、時に向かい合って相手の口元を中心にした顔を見ながら、言葉を揃えたりタイミングを合わせたりすることもある。手で合図をするなんてことはしょっちゅうだ。

ババテシでも、勿論歌っている時は言葉は出せない分、音出しながら色んなやり取りをやっている。

Chor Solfa!もそういう時が時々あるね。

で、これがさ、もしかしたら、音楽やってて一番楽しいことなのかもしれない。

いや、皆、本当はこんなこと当たり前にやっているかもしれない。

でもね、ステージに上がって並んだ時からそういう雰囲気が見えるかどうかって、やっぱあると思う。

普段からの姿がね。

で、話しがやっぱりループし始めたけど、この、本当に自分達の音楽を楽しんでいる姿、これこそがまずは最大のパフォーマンスではあるまいかと思うんです。

勿論、一概には言えないことは分かるんですが、でも形の違いはあっても大小の規模に関わらず、こういうことってあるんじゃないかなと思いますね。


で、ここで自らの身に振り返ると、例えばSolfa!の練習の時、最近私が結構うるさく「丸くして」って言うんで何となくそうなってきたけど、何故だか皆、椅子を一直線に並べたがるよね。これはあかでみでも一緒なんだけど、どうもあたかも仮想の観客が前にいるかのような感じなんだ。つまり本番を想定したようなね。これは本当に昔っから疑問だった。けど、自分もずっとそうしてた。既成概念というのはなかなか取れない。

でも、プロならそうかもしれないけど、アマチュアちゅうのはね、練習そのものが自分達にとっての本番であって、観客は自分達自身だよ。だから自分達が一番聴き易い形で練習するのが一番楽しいはずだ。

だから練習場の形で制限される時はしょうがないにしても、出来るだけ、お互いの声が聴ける形、すなはち出来るだけ丸くなって演奏したほうがいいと思うね。

ホント、まん丸が一番理想なんじゃないかね。


うーん、そうか、書きながらひとつ何となく分かったゾ。

多分皆ね、歌を歌うこと自体は好きだし、何となく合唱の中に入って皆で一緒に歌うことだったり、そうやってひとつの物を皆で作っていくことで得られる達成感みたいなものは楽しいんだ。

でも、その音楽の中で、勿論音そのものもだけど、表情やなんかも交えてコミュニケーションを取り合うことが、どれだけ楽しいかが、まだあまり分かっていないのかもしれない。

これ、ある意味普通の言葉の会話以上に深くて面白いよ。

で、指揮者ってのは、その皆の会話の進行役だったり、問題提起役だったり、まとめ役になるんだろうな。

でも、実際会話を楽しむのは皆自身だからね。

でも、多分、分かってくると思いますよ。この楽しさはね。だんだんと。

私ももっとその為の練習のあり方を追求して考えないといかん。

ともかく、歌う自分の前に、いつもこっちを向いた厳格な指揮者がいて、その向こうに怖いお客さんがじっと聴いてて、指揮者の指揮に正確に従って自分は歌うんだっていう、そういうバーチャルイメージはとりあえず捨てような。


本当にぐだぐだ書いてたらぐだぐだになっちまった。

もう一個、話題があったんだけど、書くのも疲れたし、多分、ここまでちゃんと読んだ人がいたとしたら、相当疲れただろうからもう止めよ。


でも、何にしても楽しいわ。


さあ、昨日一気に入梅しましたね。梅雨

まあ、最近、季節感が薄れている中で、この灰色の季節は、ある意味ホッとさせられるね。

でも、ワンコが匂うんだよなぁ。ボーダーコリー犬(玲王菜)

そう、あの濡れた犬の匂いね。くさい