なんであんな無駄な戦争をしたのか〜後悔先に立たず | おしゃべり大好き!自閉っ子 「チョロちゃん日記」  

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幼児期に発達障害(神経発達症)と診断された
チョロちゃんの凸凹発達の大変だった育児を
今、楽しんでいるのは、
親子で成長(発達)し続けているからです♪

1945年8月15日に想いを馳せて。

 

終戦間近の若い特攻隊員達は、少しでも長く家族達への戦争被害が及ばないようにと願って自分の命を犠牲にしました。

 

送り出す親や家族は戦争になど行って欲しくはない。と表立っては言えなかったとしても、心の中はきっとそうだったのではないでしょうか?

 

 

 

与謝野晶子さんが弟に向けて詠んだ

「君死にたまふことなかれ」は有名ですが、戦時中に勇気が必要だったでしょう。

 

あゝをとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生れし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや。

 

堺(さかひ)の街のあきびとの

舊家(きうか)をほこるあるじにて

親の名を繼ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ、

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家のおきてに無かりけり。

 

君死にたまふことなかれ、

すめらみことは、戰ひに

おほみづからは出でまさね、

かたみに人の血を流し、

獸(けもの)の道に死ねよとは、

死ぬるを人のほまれとは、

大みこゝろの深ければ

もとよりいかで思(おぼ)されむ。

 

あゝをとうとよ、戰ひに

君死にたまふことなかれ、

すぎにし秋を父ぎみに

おくれたまへる母ぎみは、

なげきの中に、いたましく

わが子を召され、家を守(も)り、

安(やす)しと聞ける大御代も

母のしら髮はまさりぬる。

 

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く

あえかにわかき新妻(にひづま)を、

君わするるや、思へるや、

十月(とつき)も添はでわかれたる

少女ごころを思ひみよ、

この世ひとりの君ならで

あゝまた誰をたのむべき、

君死にたまふことなかれ。

 

 

 

周りの人達は心の中でそう思ってはいても、殆どの人が表立ってはそう言えずにいた時代。

 

 

昨日のブログに少し書きましたが、今、テレビで扱われているコロナ関連報道は、情報を操作されて偏った内容ばかりを表立って伝えられているので、まるで戦時中に誤導されていた人々と同じだと何度も感じていました。

 

但し、今が当時と違うのは

環境が整っているのでその気になれば隠されている情報を見つけることができ、

マスク着用もワクチン接種も強制ではないので自分で選んで決められる。

という点です。

 

特に子どものマスク着用やワクチン接種に関しては利点が一つもなく、害ばかりがあり過ぎるので、それを知っている親として、我が子〜もっといえば若者を含め子ども達全部〜にマスク着用やワクチン接種を推奨する状況が異常としか思えないし、子どもにそれを促す事は虐待だとさえ思っています。

 

 

マスク着用についても、ワクチン接種についても、直ぐに目に見える悪影響は勿論ですが、1年後、3年後、5年後、10年後に何らかの健康被害が明らかになった時では遅すぎます!

 

中には薄々おかしいと感じながらも、

波風を立てたくない。

とか、

自分だけ周りと違う事ができない。

とか、

何か言われたらどうしよう。

等々意に反して渋々(?)受け入れている人が意外に多くて、暑いのにマスクを外せず、副反応の心配をしながらワクチン接種を受ける。という受動的な人がいます。

 

 

中にはテレビで得た情報だけを信じている保護者も結構いて、

子どものクラスの生徒の中には

同居している家族に感染させたくない。

とか、

みんながマスクを着けている、ワクチン接種を受けている。

という理由の子どもも多い様です。

 

後になって、

あの時マスク着用やワクチン接種をしなかったら…。

といっても遅いのです。

 

後悔先に立たず。

 

大人達〜特に親の立場の人達〜は、若者の今の生活のみならず未来を守る為にも、

今一度、情報を集めて自分で調べて取捨選択をして子ども達を守って欲しいです。

 

 

 

凸凹育児を頑張っているお母さんへ

 

今日も一緒に凸凹育児を楽しみましょう音譜