「発達障害」
という診断名はなくて色んな診断名をざっくりまとめたものの総称の様なものですが、
それも
「神経発達症」
になって何年も経ちますが「発達障害」という方が認知度が高く広く知られています。
例えば同様に
自閉スペクトラム症
とか、
注意欠如多動症
などとなったわけですが…。
スペクトラムなので診断には明確な基準がなくて、
初めに診た医師がつけた診断名がその子(人)の生涯における診断名なのか?
というとそうではありません。
なぜなら「神経発達症」なので発達に何らかの不具合があるものの、その不具合は調整が不可能なほど重篤なものではないからです。
例えば…
母から聞いたわたしはとても神経質で敏感な赤ちゃんで
テーブルに箸を置いた時の小さな音でも目を覚ますような子だった。
とか、
オムツが取れていない〜2歳にもならない〜幼児期に近所の子ども達と外で遊んでいると思って夕食の支度をしていた母(かなり大胆で大雑把)が、ふと気づくとそこにわたしはおらず、子ども達も「知らない」と言ったそうで、捜し回ったら幼児の足では結構な距離の駅近くで見知らぬおじさんに抱っこされて
「この子のお母さんはどこですか?」と言われていた。
というエピソードもあって、他にも色々あります(笑)が、
もしも今の時代だったら、わたしは
聴覚過敏〜感覚過敏〜
だと言われたり、
多動症
と言われたりしたかも知れません。
今は勿論、箸を置いた音くらいで目を覚ますことも、突然いなくなることもありません(笑)
もうちょっと大きくなった小・中学校の頃を思い出すとクラスには個性豊かな色々な子がいて、もしも今だったら
◯◯障害
と言われかねない様な子も何人かいて、更に言えば、今よりも1クラスの人数も多かったけれど、先生がキチンとまとめていたなぁ〜と思うのです。
体罰というと大袈裟なほどコツンとされる子もいたし、今だったら大騒ぎになっていただろう事、
全員廊下に並ばされてガットの張っていないテニスラケットで思い切りお尻を叩かれた。
という事もありました。
これは忘れもしない中学一年生の時の事で、自習時間中に騒いでいる子がいて、隣の2年1組で授業をしていた先生が怒って担任に文句を言った事がきっかけで担任から叱られ「騒いでいた子を注意しなかった」から連帯責任だと全員に「けつバット」ならぬ「けつラケット」をしたのです。
この時の担任は保健体育の男の先生(当時30歳くらい)で女子バレー部の顧問もしていた熱血先生なのでかなり力で叩かれたので、しばらくお尻が痛かったのを覚えています。
ですが、保護者の誰一人、文句を言った人はいなかった…という時代。
今だったら、違っていたかも知れません。
その時、騒いでいた子が今、どうしているか知りませんが、そういう生徒がクラスに一人や二人いて、誰も「医者に診て貰え」なんて言う人がいなかった時代です。
更には人によっては
自閉傾向
とか、
自閉気味
とか、いう医師から
???で曖昧なヘンテコな診断名ともつかない宙ぶらりんな事を言われて「戸惑った」というお母さんもいます。
チョロちゃんの場合はそんなに曖昧ではなくて、乳幼児期から確かに何だかおかしいぞ…と思う事がたくさんありました。
当時はスマホはおろか携帯電話も持っていなかったので、その影響は考えられずだったのですが、あの時に大変だったアレコレが治ったお陰で選択肢が増えて〜中学校の担任からは邪魔されましたがそんな事ははねのけて〜公立高校を受験し合格して高校生になり4月からは2年生です
幼児期の信頼できなかった当時の主治医のみならず、小学生の時に鹿児島の神田橋條治先生にもハッキリと診断されたので気のせいではありません。
それでも、そこに留まることなく抜け出せて良かったと思っています。
子どもの成長(発達)は
親の主体性
が左右すると言っても過言ではありません。
もしも、人生のどこかで診断されたとしても、一生その診断名がまとわりついたままでもありません。
何もしなければ変わらないかも知れませんが、手立てはありますし、幸いなことに知見のある援助者も〜少ないけれど〜確かにいます。
基本的には
誰かに何とかしてもらう
のではなくて、
お家で親が何とかする(治す)のです。
それを知っても
自分には無理だとかできない。
と消極的なことを口にするのか?
(家で)自分でできるなんて!
と嬉しく思うのかで子どもの将来は大きく違ってきます。
どちらでも選ぶ事ができるので、後は(親の)主体性次第です。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
新しい一日が始まりました
今日も一緒に凸凹育児を楽しみましょう