幼児期に通っていた園のチョロちゃんのクラスは自閉症の子がかなりの割合でいました。
今は使わなくなったけれど、自閉症を三つに分けて
重度・中度・軽度と呼んでいた時期。
今は「自閉スペクトラム症」ですから◯度等つけませんし、大体、知能指数で重いとか軽いとかの文字をつけて、知らない人から見たら混乱させるだけなのです。
自閉っ子の場合、知的障害があるかないか?
に関わらず大変な身体特性(特徴でもある?)があって、日常生活でも大変なレベル。
「自閉っ子、こういう風にできてます!」
の著者であるニキリンコさんも藤家寛子さんも検査上では軽度という事でしょうが、その大変さは本を読んだだけでもわかるレベルですから、実際の大変さはどうなのか?…。
チョロちゃんは言葉の遅れがなかったし、どちらかというと弁が立つ方なので、絵カードなどは使ったことがなく、勿論わたしも作ったことがありません。
ある日、園の遠足で出かけた時、チョロちゃんとわたしのやり取りを見ていたある保護者(絵カードを使っている)から、
自閉症の子は話ができても口で言うのではなく、
絵を見せたり字に書いて見せないと…。
…とダメ出しをされました
これまでずっとこうやって話して聞かせてきたし、注意も殆ど口頭。
(ごくたまに絵に描いたり、文字にすることがあってもほぼしない)
それで意思の疎通ができているから問題ないと思っています。
…そう説明しても
「自閉症の子には絵カードや文字で」
つまりは視覚支援じゃなきゃダメ。
…に拘って他人のわたし達にもダメ出しされて、それに従わなかったのが気に入らなかったらしくじわじわと陰湿で陰険ないじめが始まりました。
更には、
「チョロちゃんは普通の高校に行けるんだからいいじゃない!」
…だから、色々な場面で我慢すべきで、そうじゃない子達が優先されるべき。
よくわからない理屈でした。
チョロちゃんには絵カードは必要ないし、言葉で伝えた方が便利だと思っています。
例えば、ラーメンが食べたい!
となった時、
何ラーメン?
茹で方は?
トッピングは?
と色々選べるわけで、そういう楽しみも絵カードでは単なるラーメンで終わります。
つけ麺とか冷やし中華とか選択肢はたくさんあるのに…。
今時の絵カードは違うでしょうか?
どちらにしても、不要です。
構造化とか色んな本も読みましたが、周りの環境を何とかしても、それができていないところでは意味がなく、それよりも子ども自身が治った方が手っ取り早い。というか一番いい方法だとわかっているので、今は大丈夫です。
あの頃はそこまでわたしも成長できていなかったから辛かったです。
そして今でも、
自閉症なんだから〜〜じゃなきゃダメ。
というどちらかというとマイナスイメージの子育てよりも、
自閉っ子って素直で律儀で約束を守って…良い子!
って思いながら育てた方が楽しいに決まってる!
こんな風に気持ちの切り替えができています♪
だから、わたしはチョロちゃんに自閉症を悪い事の言い訳にしないで、頑張れる律儀さや素直で愛すべき特徴を残しつつも、不便な身体的なアレコレが治って元気な働ける自立した大人になって欲しいと思っているのです♪
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一日お疲れ様でした
明日も一緒に頑張りましょう
おやすみなさい💤⭐