11年以上前の三歳だったチョロちゃんが診断された頃は、
「発達障害は脳の機能障害だから治りません」
…がスタンダードでしたが、かつて大変な生活をしていた方々が治っているという事実も去ることながら、目の前の我が子が個性的な子ではあっても、幼児期まで超感覚過敏で睡眠障害で、偏食でこだわりが強くて、多動で外出した途端に走り出し、しょっちゅうパニックになったり、その場でグルグル回ったり、壁におでこをゴンゴン打ち付けたり、知らない人に話しかけたり、気に入らない事があると全裸で家を飛び出したり、水のシャワーが痛くて、水が一滴でも服に付いたら絶対に着替えないと気が済まなくて、平坦な道でもよく転ぶとか…書き出したらキリがない等々…いくらでも書ける程に大変さがてんこ盛りで、本人も幼児期にわたしに訴えてきたほどですからよほど大変だったのでしょうが、ずっと一緒にいたわたしもかなり疲労困憊で、それなりに大変でした。
その後、全部あった感覚過敏が次々に治ってなくなった事と、就学前には睡眠障害が治っていたので随分とラクになっていました。
実際に我が子大変だったアレコレが治っているからこそ、
「神経発達の抜けだから治ります!」
という方が納得だし腑に落ちます。
そうじゃなかったら
大変なアレコレが15年以上も続いている
としたら…なんて考えただけでもゾッとします
専門家という人たちの中には子ども達が治って普通に学校に行ったり、就きたい仕事に就いて自立した大人になるように応援する(頑張らせる)よりも、
無理はさせない。
頑張らせない。
そして挙げ句の果てに
学校に行けない子ども達の居場所作りの為にフリースクールを作りたい。
と、何だか違う方向に目を向けて居る人達もいます
取り敢えずの居場所を作ったとして、そこに何年も何十年も通うだけの人のままでいい。と本当に思うのでしょうか?
わたしは違うと思っています。
今は殆どの職場でパソコンの使用は当たり前になっています。
Word、Excel(場合によってはPowerPointも)が使えること。が必要最低限の条件だったりします。
子ども達の多くがタブレットやゲームのコントローラーは扱えても、パソコン操作となると不慣れな子も多いと聞きました。
そういう所で働いた経験のない支援者が、果たして子ども達を本当の意味で支援できるのでしょうか?
色々なスキルを教えることもままならず、ましてや睡眠障害で昼夜逆転の生活を放置したままにしたり、感覚過敏が治っていない為に日々の生活に苦痛を強いられたりだとしたら、先ずはそこから何とかした方がいいのですが、生憎それを育てたり治す手立てを持つ人は少ないのが現状でしょう。
目先の事、今だけを見ていては本当の解決になりません。
先ずは夜に寝て朝起きたらリセットができている身体作りには何が必要か?を知って、土台作りができること。
そして、感覚過敏が治せることは基本中の基本です。
その手立てすら持たない人達に何ができるというのでしょう?
そういうことに目をやらずにいては子どもの自立など望める筈もないのです。
支援者は所詮支援者。
「子どもが将来自立した大人になれるかどうか?」よりも
嫌われないことやよき理解者。
としてのポジションの方が大切なのかも知れません。
一方で子ども将来を真剣に考えて必死に支援する人は何でも許容し頑張らせない等という事はしないでしょう。
自分が持つ知見を駆使して何とかしてあげたいと必死になるでしょう。
わたし達は親として子どもに対して責任があります。
自立した社会人として巣立たせることができるのか?
真剣にそう願って育てているのか?
まだ、子どもが小さくてもそういう将来のビジョンがあるとないでは大きく違ってくるでしょう。
無責任な支援者の甘い言葉は今は耳に心地良いかも知れませんが、いつかきっとその結果を負うことになるのです。
その時に自立できずに困るのはほかの誰でもない子ども達自身なのです。
わたしは自立した大人になって欲しい親として、
現状をぼかしてその場凌ぎの支援者におんぶに抱っこで本当にいいのか?
考えることが大切だと思っています。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一緒に凸凹育児を楽しみましょう