チョロちゃんが小学生の時に一定期間学校に行けなかった時期があって、その時に先生が色々な工夫をしてくださったな…とふと思いました。
例えば、校門の所まで行って先生に会って、課題(プリント等)を渡して、新しい課題を受け取ったことで出席になりました。
当時の校長先生の裁量だったのですが、学校に行けずにいた時にそういう配慮をしてもらった時期が一定期間ありました。
わたしが小学校で図書ボランティアをしていたので、その活動があった時は一緒に学校に行きはしましたが、教室には行かずにわたしと一緒にいました。
クラスの子からのメッセージの束を届けてもらった事もありました。
最初からそういう感じで学校との関わりが途切れない様に、又、学習(と言っても低学年だったので国語の漢字と算数の計算位のもの)に遅れが出ないようにという配慮のプリントと漢字の宿題プリントを毎日用意してくれました。
不登校の期間が何ヶ月だったか?ハッキリ覚えてはいませんが、何とか行けるようになりました
物事には最初があります。
その段階では先の事は見えないでしょう。
不登校の場合も同じだと思います。
きっと最初は1日だけ休むつもりだったのかも知れません。
学校に行けなくなる理由も様々でしょう。
チョロちゃんは
「給食が嫌だから学校に行きたくない」
と言った時期がありました。
その時は
「無理に給食を食べなくてもいい」
と伝えて、パンと牛乳だけ。とかそういう事もありました。
学校が嫌い。
という漠然とした理由ではなくてもう少し具体的な理由、
◯◯先生が嫌い。
◯◯ちゃんが嫌い。
給食が嫌い(食べられない)。
縄跳びができない。
逆上がりができない。
勉強(算数)が嫌い。
…………。
そういう理由の一つ、或いはきっかけは些細なもの(事)に思えるかも知れませんが、その子にとっては大きな壁になって突き進めない程に阻むものになっている可能性もあります。
それでも、何とかして(どうにかして)学校に行けるようになったら、一つ壁を越えて頑張る経験は無駄にはならないでしょう。
日数が過ぎれば過ぎる程、どんどん「学校に行かない事」が普通になって、最初は1日だけ休む。のはず(つもり)が2日になり一週間になってしまいます。
そうやって学校に行かない(行けない)理由まで曖昧になってしまうのかも知れません。
学校に行けない理由が、明らかに身体的・精神的な危害(苦痛)に遭う危険がある場合は全く別です。
その時は親として子どもを守りつつ、すべき事は他にあるでしょう。
我が子が被害者となった「いじめの問題」で一時的に登校拒否を選んだ時、子どもを家に残してわたしが学校に行き解決するまで行かせませんでした。
今書いているのはそういう不登校ではないです。