「特別な子育て」って何でしょう?
「普通」という言葉が曖昧なのは、人によって「普通」の基準が違うから。
或いは、
誰かが言う「普通」と自分が考えている「普通」は違うかも知れません。
チョロちゃんはもうすぐ義務教育が終わって新しい環境に飛び込んでいきます。
その数年後には更に新しい場所、もっと広くて大きい社会に行くのです。
その中で通用する(できる)人になって欲しいのであれば、そのように育てて行かなければ…。
その為にできる事、すべき事は何?
…そう考えて逆算していくのです。
そうそう、これまで何年もずっとそうして育ててきました。
だけど、10年前とは全然違います!
あの時は少し先の将来すら全然見えていなかったアレコレが、今はちゃんと見えています!
9年前の今頃は就学する小学校の事でとても悩んでいました。
地元の小学校にはチョロちゃんが入れる特別支援学級がなかったので、最悪の場合、バスで通える学校に行かなければならないかも知れず、幾つかの候補があったのでその全部に見学に行き、先生にお会いしたり、教育委員会の就学相談も利用しました。
夏休みには親子別々の面談を受けたり…。
9年後の今は、チョロちゃんが入学したいと思う学校に願書を出して受験します。
教育委員会は介入しません。(特別支援学校ではないから)
こんな風にこの10年で気持ちを向ける方向性が全く違うものになりました。
10年前は特別支援学校に見学や体験入学もしていたのですから、今では考えられません。
あの頃は暗中模索で悩みがたくさんあって、だけど明確な解決策が見つかりませんでした。
今とは全く違います。
育てる側の意識次第で変わるのだと実感しています。
今のこの状況も5年後10年後にはきっと懐かしい思い出になっているでしょう。
そうやって、その時、その時で懸命に頑張るのはどんな子育てにも共通ですね。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一日お疲れ様でした
明日も一緒に楽しみましょう
おやすみなさい