二分の一成人式は誰の為? | おしゃべり大好き!自閉っ子 「チョロちゃん日記」  

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幼児期に発達障害(神経発達症)と診断された
チョロちゃんの凸凹発達の大変だった育児を
今、楽しんでいるのは、
親子で成長(発達)し続けているからです♪

Twitterで「二分の一成人式」という言葉がチラッと出てきて、この事については前々から感じている事があるのでそこにも少し書きましたが…。

 

 

確か、上の二人の子ども達の時(15年以上前)には地元の小学校では

「二分の一成人式」はありませんでした。

 

チョロちゃんの時にはあって、先生方が色々下準備をしているようでした。

実は、チョロちゃんの学校には何人もの児童達が親元を離れて生活します。

そういう子ども達にとって、二分の一成人式というは嬉しくない(どちらかというと悲しい)行事だと思われる内容だったので、先生にその事を話したら

「大丈夫です!」

と即答されました。

 

本当にそうなのかな?

周りの子ども達が親から生まれた時のエピソードが書かれた手紙とか、親に手作りのプレゼントに手紙を添えて手渡したりする中でそういう機会がない子がいると予めわかっているのに、こんなことして酷ではないのかな?と思いました。

 

中には仕事や都合が悪いなどの事情で参加しない親がいたとしても、家に帰れば親にプレゼントを手渡せる子ども達とは違う環境下にいる子ども達。

他の子ども達が親にプレゼントや手紙の準備をしている間、この子達はどんな想いでその時を過ごしているのでしょうか?

 

子ども達が親元を離れて生活しているのがどういう事情かまではわかりませんが、こういう子ども達の気持ちを置き去りして行う様な行事なのだろうか?

と疑問に思うのです。

 

未だ9歳か10歳の子ども達。

親に甘える事もできない環境下での生活を強いられている子ども達の気持ちの負担をこんな形で敢えて増やすが必要あるのかな?

 

わざわざ他の子ども達が親子で感謝し合う場面を見せつける(と思う)必要があるのかな?

 

学校の先生達に考えて欲しいのは、時代の流れの中で新しい行事や取り組みが増える事があるとしても、その行事が

他の学校がそうしているから。

とか、

自治体を通じて推奨されているから。

という理由を優先するよりも、目の前にいる子ども達の中にその事によって

小さな胸を痛め、辛い悲しい想いをするだろう児童がいるかも知れない。

という事にも目を向け考えて頂きたいのです。

 

親に感謝する機会は二分の一成人式でなくても、日々の学校生活の中で教えられるでしょうし、今、一緒に暮らしていない親がいるとしても子どもはみんな社会の中で大切され、愛され育まれるべき存在なのだと教える事もできるでしょう。

 

大きな行事に何時間も費やすよりも、

一人一人の気持ちを考えて育んであげて欲しいなぁ。

と思っています。

 

実績よりも大切な事がたくさんあると思うです。