竹内好
ちくま書店1993

 

ぼくが竹内好を初めて読んだのは、大学2年生のとき、東大帰りの教員が担当する授業でのことであった。

 

顔も胴体もメガネも丸く、声さえ丸みを帯びていたあの教員だが、とんでもなく尖った授業をぼくたちにしてくれた。クラス全員中学校から日本語を勉強してきて、N1試験などとうの昔に全員合格したのだから、礼儀正しい日本語しか書かれていない教科書など読んでも意味がない、もっと思考力を養えるものを読めーーとでも言わんばかりに差し出されたのは、近代以降の日本の思想家が書いた短い論文を集めた文集であった。文集に書いてあるのは確かに日本語で、わからない単語も殆どないのに、それを読み進んだぼくたちは、なぜか脳がショートするほどの感覚に苛まれた。そんな学生の姿を見慣れたであろう教員は眉一つ動かさず、「来週からゼミ形式で週替りに発表をすること」と宣言。こうして、大学2年生でありながら、後の東大の大学院で経験する授業をぼくたちが受けることになったのである。

 

思えば、あの文集に収録された文章をすべて理解するのは、あの時点で不可能だったばかりか、今なお困難を極めるだろう。なにしろ、そこには竹内好以外にも、和辻哲郎、三木清、加藤周一などなど、そうそうたるメンバーが揃っており、「記号論」「ペルソナ」「雑種性」のような専門用語が頻出していたからだ。まだ学術研究の素養がまったくなかったぼくたちが、作者たちに立ち向かうのは身の程知らずもいいところだった。

 

だが、あまりにも無知だったことが逆に幸いして、ぼくたちはビッグネームを恐れることなく、裸一貫でテクストに立ち向かうことができたのも事実である。その御蔭で、とても深い読みとは言い難いものの、ぼくたちは自分なりに日本を代表する思想家たちと対話することができ、なんとなくわかった気になって議論することができた。そのときに形成された第一印象は、日本に留学してから同様なテーマを取り扱うときに大いにぼくを滋養してくれた。もちろん、多く読むにつれ当時の浅はかさに気づくことがほとんどだが、それでも自己否定を通じて得られた新たな知見は、ただ書かれたものを受け入れるだけより数倍も生命力に富んでいた。その上、極稀に当時の読みが間違っていなかったと気づくこともあり、そんなときは「オレも捨てたもんじゃないな」と一人で得意満面になった。

 

だが、数ある論文のなかで一本だけ、「わかった気」にすらなれなかったのがあった。それが本書『日本とアジア』の最初に収録された「中国の近代と日本の近代」である。そして、ぼくを最も悩ませたのが、次の指摘であった。

 

明治維新は、たしかに革命であった。しかし同時に反革命でもあった。明治十年の革命の決定的な勝利は、反革命の方向での勝利であった。(中略)辛亥革命も、革命=反革命という革命の性質はおなじだ。しかしこれは革命の方向に発展する革命である。内部から否定する力がたえず湧き出る革命である。(中略)つまり生産的な革命であり、したがって真の革命である。

 

中国の学校教育では、明治維新こそが「成功」したものであり、辛亥革命は「ブルジョワジーの軟弱性」が仇となって「失敗」したと教え込まれる。それに対し、中華人民共和国の創立につながった共産主義革命は、プロレタリアートが主体とされているため、ブルジョアジーの弱点が克服された「徹底的」な革命であり、辛亥革命と全く性質を異にする。しかし竹内好の視点では、中国は「内部から否定する力がたえず湧き出る」ものであり、共産主義革命は辛亥革命の継続(もちろんその間にほかにも多くのものを挟むが)となる。一方、日本では明治維新という一回限りの革命が起き、猫も杓子も舶来の価値観と制度を無反省に受け入れたーー

 

当時のぼくはこれくらい考えるのが精一杯であり、そして容易に納得できなかった。なぜなら、辛亥革命と明治維新への評価をこれまで受けた教育から180度転換させることは、中国の近代史全体の流れに対する理解に地殻変動を引き起こすものであり、誇張ではなく価値観の変革を迫るものとなるからだ。それができなければ、竹内好に深く入り込むことが無理だったのである。

 

幸か不幸か、あれから20年近くが経ち、価値観はすっかり変わってしまった。今なら竹内好の議論がよくわかる。彼が辛亥革命やそれに続く中国の一連の革命に見出そうとしたのは、ヨーロッパに「抵抗」し続ける東洋の姿である。明治維新によって日本がかつて学んだ中国の制度、文化、そして精神までもをすべて捨て去る代わりに、その時点で世界最高と思われた西洋の制度、文化、精神を導入したのだとすれば、中国は西洋の即物的な先進性を一応認めつつも、文化、精神の面では西洋に抵抗し続けた。竹内の言葉で言えば「自己自身であろうとする欲求」を持っていたのである。

 

このように考えた竹内は、日本を中国の対極においた。中国が抵抗したのに対し、日本は素直に西洋を受け入れた。抵抗した中国は古い価値観に固執したため「後進的」と見なされ、いち早く脱亜入欧した日本は自分たちが「先進的」だと舞い上がった。中国は内なる動きとして「回心」し、古い価値観や思想を再生させることでしか前進できなかったのに対し、日本は次から次へと舶来の思想に「転向」し、いつでもその時代の最先端に牽引されることができた。牽引されている以上、自分が最先端ではないのは認めるが、それでも後進国よりは遥かにマシーーそんな優越感が肥大化していった結果、アジアの諸民族を導くことができると日本がうぬぼれ、先の大戦が起きたのである。

 

かくして竹内は、最大限の皮肉と反省を込めて日本の近代を論じた。だが、彼は決して「だから中国に学べ」とは言わない。なぜなら、安易に「学ぶ」ことは明治時代や戦後のような無反省の「転向」の繰り返しでしかない。竹内が求めているのは、中国というアジアの近隣を参照系とし、日本自身の「主体性」を身につけることだ。この立場に対し、「西洋のいいものを取り入れてどこが悪い?その柔軟性こそが日本の主体性ではないか」と開き直る向きもあるかもしれない。竹内とて、西洋の価値観の導入それ自体が悪いと言っているのではない。しかし、だからこそ単に受け身になっているだけではだめだ。なぜなら、現実を見つめれば、自由、平等、民主など、西洋が近代において血なまぐさい暴力とともに東洋と世界各地に持ち込んだ価値観が、本当に実現されているとはとても言えないからだ。現今の世界を見る限り、それらの価値観は西洋においても東洋においても、華飾の下に空っぽな骨組みしか残していないと言うべきである。そのことを理解すれば、竹内が主体性の必要性を明言した次の言葉の意味がはっきりしてくるだろう。

 

西欧的な優れた文化価値を、より大規模に実現するために、西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻返し、あるいは価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す。(中略)その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。

 

これは「方法としてのアジア」と題された講演のなかの一文である。竹内の考えでは、自由・平等・民主などを代表とする「西欧的な優れた文化価値」は、せいぜい西欧諸国の内部でしか実現されておらず、そして西洋はむしろ真逆の態度で東洋に向かったのである。そうした文化価値の普遍性を認めたとしても、「独自なもの」で西洋を変革させなければ、全世界での実現は到底不可能だと言うのだ。「独自なもの」は、上の「自分自身であろうとする欲求」と同義だと考えて良く、おそらくこの表現を目にした時点で、昨今の多くの短絡的な日本人は、「日本ってば独特で素敵なものに溢れてるんだよ!」と考えるだろう。しかし、竹内はまるでその反応を予想しているかのごとく、上の引用に続きこう述べている。

 

その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。それは何かというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としては、つまり主体形成の過程としては、ありうるのではないかと思ったので、「方法としてのアジア」という題をつけたわけですが、それを明確に規定することは私にもできないのです。

 

「独自なもの」は実体ではない。優れた工芸品ではなく、伝統芸能でもない。里山的風景ではなく、古き良きと観念される生活様式でもない。なんなら、職人気質や慎ましやかな精神性でさえない。それは「主体形成の過程」である。形成された「主体」ではなく、形成する「過程」である。しかし、果たして「過程」とは何なのか、竹内好はなんとも無責任に回答することを放棄した。疑問を投げかけておいて、自分ではろくに説明をしない。果たして彼の言う「方法」とはどういうことか。どのような「方法」を駆使すれば、「西洋をもう一度東洋によって包み直す」ことが可能になるのだろうか。次回は、中国を対象にこのことを思考した著作を読む。

ジョヴァンニ・アリギ
中山智香子ほか訳 山下範久監訳
作品社2007

 

いきなりだが、「中国の特色ある社会主義」と聞いて、皆さんはなにを思い浮かべるのだろうか。

 

多くの人は、「意味不明」と答えるだろう。続いて「要は一党独裁体制」「全体主義」といった言葉が浮かぶかもしれない。中国通に聞いたら、「社会主義の皮をかぶった実質的な資本主義」、「国家資本主義」などの答えが返ってくるかもしれない。たぶん、なにを答えても間違いではないだろう。それだけ、曖昧な言葉だからだ。

 

このような曖昧な言葉を相手にしたとき、言葉の定義そのものから真意を見出そうとするのは無意味である。社会主義にせよ、資本主義にせよ、中国においてはどちらも単なる名詞に過ぎず、必要に応じいくらでも恣意的に解釈を変更できるからだ。今の中国が実際にどのような政治、経済体制の上に成り立っているのかを理解するには、中国の政治をとりまく言葉たちと言葉遣いの変化に細心の注意に払うと同時に、言葉に囚われることなく、中国が実際に採用した手法、政策の動向を観察し、現実から総合的に判断していくしかない。

 

そのように考えれば、おそらく中国語のできない著者・アリギは、最初から言葉に惑わされないで済む立ち位置にあるため、すぐに中国の現実に入って行けるのである。もちろん、後述のように、アリギの中国理解に偏りがあることが否定できないが、彼の意図は初めから中国を正しく理解することではない。彼が見ようとしているのは世界史的なヘゲモニーの変化、世界システムの変化であり、それを考察する過程で、ちょうど台頭する中国にぶち当たったと見るべきである。

 

さて、そのような世界システムの変化から眺めた場合、初めはオランダ、その後のイギリス、さらにアメリカと、世界的な影響力を持つ中心国家が絶えず変わり続けていることがわかる。そして、ベトナム戦争をきっかけにアメリカの力が少しずつ衰えていき、イラク戦争の泥沼にはまってからは「凋落」したとアリギは言う。その代わり力をつけてきたのが中国だが、なぜ中国がこれほどまでの成長を遂げることができたのか、そのことが今後の世界にどのようなインパクトを与えるのか、そのことがアリギにとっての最大な課題である。

 

アメリカを始めとする資本主義諸国のヘゲモニーと中国の台頭を説明するために、彼が使った理論は、大本をたどればアダム・スミスとカール・マルクスの2本柱となる。しかし、意外なことに、マルクス=社会主義=中国、アダム・スミス=自由主義=アメリカという図式ではなく、中国の成長を導いたのはマルクス主義ではなく、むしろアダム・スミスの市場経済の方であるとアリギは言うのである。

 

この結論だけを読めば、当然違和感を覚えるだろう。ぼくもはじめは「市場経済?何を言ってるんだ。市場経済は『見えざる手』を頼りにする。政府が経済に強力に介入する中国とは真逆じゃないか」と思っていた。そうした反論を予想したかのように、アリギは本書前半で世間のマルクス理解やアダム・スミス理解の重大な過ちを指摘する。

 

マルクスとともに、彼(アダム・スミスのこと)はたしかにもっとも誤解された経済学者の一人である。とりわけ、三つの神話が彼の遺産を取り囲んでいる。一つめは、彼が『自己調整的な』市場の理論家や提唱者であったということ、二つめの神話は、彼が『終わりなき』経済拡張のエンジンとしての資本主義の理論家かつ提唱者であったということ、三つめは、彼が(中略)ある種の分業の理論家、提唱者であったというものである。実際には彼はこれら三つの説のいずれの理論家でも提唱者でもなかった。
(中略)
『国富論』は、最小国家ないしはまったく国家が存在しない状態でもっともよく機能する自己調整的市場を理論化しているどころか、(中略)市場を存在させるための諸条件を創造したり再生産したりする強い国家の存在を前提としていた。またこの国家は、統治の効果的な道具として市場を用いながら、市場の作用を調整し、また社会的、政治的に望ましくない市場の諸々の結果を修正したり埋め合わせたりするために積極的介入しようとする。

 

アダム・スミスを読んでいないぼくには、アリギの言葉がどこまで正確なのかがわからないが、「国家が道具として市場を用いる」手法はたしかに中国とそっくりだ。こうした状態をアリギは「市場が国家に従属する」と呼び、それに対し、欧米諸国は「国家が市場に従属する」状態だとする。後者こそが、マルクスが描き出した資本主義発展論において、資本があくなき蓄積による資本主義の発展を求め、遠距離貿易の拡大、不均等発展による競争を基本的な特徴とするプロセスだ。このプロセスにおいて、資本はいずれ海外植民地の獲得を要請し、国家にとっては、資本の活動を庇護することが至上課題となり、そのために軍事力拡大、国家間競争に奔走する。この経路を極限まで推し進めのが20世紀のアメリカだ。故に、アメリカこそがマルクスの理論の最良の体現者であり、「デトロイトのマルクス」と呼ばれるのである。

 

そんなアメリカを極致とする欧米と異なり、東アジアは古代からマルクスの言う資本主義の道筋をたどる兆候がなかった。アリギによれば、東アジア諸国は国内市場優先の立場から短距離、周辺国との交易を重視する道を選んできた。ヨーロッパ型の発展が地理的拡大と絶え間ない国家間戦争を不可避的に伴っていたのだとすれば、東アジアでは15 世紀来の500 年間の平和を維持でき、スミスの言う「自然な」発展経路としての国内市場の維持成長を優先したというのである。

 

その後、西洋との出会いによって、東アジアも否応なしに資本主義に巻き込まれたが、従来の東アジア的な発展経路が完全に崩れたのではなく、両者の「ハイブリッド化」が進んだ。そして、アメリカの凋落に伴い、東アジア独自の発展経路が復活したのだとアリギは主張する。特に中国では、改革開放以降に農村の生産性の向上(生産責任制)に取り組んだ結果、農村に余剰資本と余剰労働力が生まれ、これらを吸収、利用するための郷鎮企業が設立され、地方の産業と経済発展の原動力となった。特に大都市周辺、 沿岸地域の郷鎮企業の発展が目覚しく、地方経済の発展は農村住民の所得の向上に貢献した。この過程をアリギはヨーロッパとの違いを際立たせるために、「収奪なき資本蓄積」だと呼んだ。この中国独自の資本蓄積に加え、対外開放によって流入してきた華僑資本が中国の成長の軌跡を支えたのだと結論づけた。

 

ぼくの個人的な感覚からいえば、アリギが捉えた中国の経済成長を支える事実はほぼ正確だ。しかし、それをどのように評価するかとなると話は別である。本書の基本的な出発点は、「アメリカの新自由主義がすでに行き詰まった」ということにあり、したがってアリギはなんとしても新自由主義に代わる理念、路線を見出したいように見えてしまう。今の世界でアメリカ以外に最も目につくのは中国であり、アメリカとの制度の違いも一目瞭然である。それなら、中国からヨーロッパ型の資本主義と違うものを見つけ出そうーー

 

その思考回路は、ややもすれば数世紀前のオリエンタリズム的幻想の再来と解されかねない。アリギが中国の現実にすんなりと入っていったとぼくは書いたが、見方によっては、彼が中国に見たのは、「中国の現実と欧米の現実の差異」だけであり、「中国の現実自体の構造や内実」ではなかった可能性がある。さもなければ、「収奪なき資本蓄積」などという表現が出てくるはずがない。良心ある中国人なら誰でも知っているように、改革開放以降も以前も、中華人民共和国の経済は収奪の上に成り立っていた。収奪の最終的な対象は農村に暮らす全人口の2/3以上を占める農民であり、農民から収奪されたものは中小都市に集まり、そこからさらに大都市、そして北京上海深セン広州のようなメガシティに収奪されていく。アリギは本書で欧米諸国が海外植民地を使って何重にも渡る収奪の構造を作り上げたことを描き出したが、中国はそれと同じことを国内だけでやってのけたと考えるべきだ。そうだとすれば、中国とアメリカのやり方には何の違いもなく、どちらもマルクスの資本主義発展理論通りに突き進んでいるだけだ。アリギは本書の最後で中国がよりエコロジカルな、より人々に思いやりを持った発展経路を取ることを願ったが、それも単なる部外者の虚しい願望に終わるだろう。

 

それでもなお、ぼくはアリギの試みを大いに評価したい。なぜなら、たとえアリギの中国に対する評価が間違いだとしても、本書が描いたヘゲモニーの移り変わり、東西の過去の経済発展経路の違いは事実である。アリギが指摘したアメリカの新自由主義の行き詰まりも確かで、トランプに投票するほどアメリカ人は追い詰められており、欧州でも同様なことが起きている。なにか別のものを探し出さなければ、現実問題に対処できる処方を見つけねばーーその焦燥感は痛いほどよくわかる。そうした自分自身の課題に向き合ったからこそ、アリギは中国という他者の自身に引きつけて理解しようとしたのであり、そこにはオリエンタリズムのような傲慢さはまったくなく、むしろ誠実に現実を思考しようとする責任ある学者の雄姿が立ち表れてくるのである。

 

ところで、アリギのように、近代以降に東アジア/中国が欧米を中心とする世界に巻き込まれながらも、独自性のある道をたどったと考える研究者はほかにもいる。また、アリギのように自分自身の課題に引きつけて中国を読むということは、まさしく日本の学者が古来より行ってきたことである。同じように「中国の現実を捉えていない」と批判される恐れのある彼らは、なぜ中国を経由地としたのだろうか。外国人としての彼らが見る中国と、ぼくが愛憎入り交じりながら見る中国にはどんな違いがあるのか。次回は、その中から代表的な人物を一人選び読んでみたい。

園田茂人 編
岩波書店2008

 

たとえば、今誰かがぼくに、「2022年12月の中国がどうなっているのだろうか。社会に大きな変化が起きるのだろうか」と訊いたとする。おそらくぼくは、「今とさして変わらない」と答えるだろう。なんの根拠もなく、また何の意味もない答えだが、これこそがもっとも間違いのない答えだと思う。なぜなら、「今」をどう捉えるかは人それぞれであり、今の中国が素晴らしいと考える人は、ぼくの答えから1年後の中国は変わらず素晴らしいと考えるだろう。逆に、今の中国が病膏肓に入るを思う人なら、1年後はさらに満身創痍になると思うだろう。どのような立場にしても、彼らはぼくの答えによって自分の考えが補強されたと思い、満足するのだ。実際、これまでぼくと中国の未来について語り合った日本人は、例外なく最後は自己満足して帰っていった。

 

こうなるのは、彼らの中国理解が間違っているためではない。相反する二つの中国観があるのなら、どちらかが正しい、少なくとも実情により近いはずだが、実際はどちらも十分自説を補強する根拠を見つけることができ、そのために「今とさして変わらない」ことに満足できるのだ。それだけ、中国があまりにも複雑多様で、誰の目にも氷山の一角しか見えていないのである。にもかかわらず、一角から全貌を推し量ろうとする愚を犯す人の、なんと多いことか。

 

そうした愚を避けたい方にとって、この本はうってつけだ。13年前の本とはいえ、内容は全く古びていない。現代中国社会を専門とする編者の園田茂人教授は、2006〜2007年に自分のつてを使い中国社会科学院や中国各大学の研究者と対談し、現代中国が直面する課題について各人の意見をまとめた。「中国人社会学者の発言」とは、彼らの論文や研究ではなく、対談の内容のことであり、したがって論文と比べ大変わかりやすい。しかも園田氏はほぼ聞き役に徹し、自分の意見をあくまで相手の話を引き出すために使うため、自説を相手の説に紛れ込ませることなく、対談相手の中国社会に対する見解の大枠を描き出すことに成功している。

 

対談相手には中国の社会学の重鎮や新進気鋭の学者がずらりと並び、社会学を専門としないぼくでも一度は聞いたことのある名前が多い。対談のテーマとして、各人の専攻であり、且つ現代中国を理解する上で重要な社会問題が選ばれた。格差、農民工、社会保障、企業経営者の位置付け、ネットユーザーの言論、共産主義理想の失墜に伴う儒教伝統の回帰などだ。こうしたテーマに対し、園田氏は学者らが本音を語らないことを懸念したが、「中国人研究者は予想以上に協力的」で、「中国が開放的になり、社会学者たちが今まで以上に自由に意見を表明できるようになっている」という背景から、対談がスムーズに進み、李培林のような政権のブレーンとして政策制定に深く関わる人物とも対談することに成功した。そうした姿勢のおかげで、本書から現代中国の様子だけでなく、中国が今後どのような政策を取りうるのかをある程度予想することができる。しかも、問題の大半は今なお継続しており、2021年現在を中国を理解するのにも、研究者の見解は十分傾聴に値する。

 

そうして、園田氏と中国の研究者らは現代中国を様々な角度から語り、思考することで、本書のタイトルのように「中国社会はどこへ行くか」を考えるのだが、この本の最後に収録された加藤千洋氏との対談のタイトルにあるように、中国の社会学者の言葉にあらわれているのは、「緊張感を失わない楽観論」であった。「緊張感」は問題だらけの中国社会に由来し、「楽観論」は「それでも必ず解決できるだろう。いい方に向かうだろう」という自信から来る。たとえばある対談者は、「4年前までは悲観していたが、今は楽観的に変わった」と話し、その理由として政府が社会の調和を重要視し、富の再分配を促す政策を打ち出したことを挙げる。調査記者歴があり、中国社会を隅々まで見た別の対談者は、社会保障制度について「改善のための試みがなされている」と評価する。さらに日中関係については、2005年に大規模な反日デモがあったにもかかわらず、対談者の誰もが必ずよくなると話し、政策ブレーンの李培林にいたっては、「きわめて楽観視している」とまで言った。

 

これらの学者のように中国社会を調査したことがないため、ぼくには統計データから彼らに反論することができない。しかし、上記の対談のテーマにかんしていえば、格差は拡大する一方。農民工は未だ都市戸籍を獲得できず、都市で下等市民に甘んじるか、農村で苦しい生活に逆戻りするかしかない。社会保障は大きなセーフティネットこそできたが、実情は穴だらけで、しかもすでに年金保険の持続不可能が見えてきた。企業経営者は何の悪びれもなく「死ぬほど働いて当たり前」と従業員を搾取する一方で、権力者との癒着をさらに強める。ネットユーザーの言論は十数年前よりはるかに苛烈な抑圧にさらされ、上記の現象を批判しようものなら、即座に内容削除かアカウント凍結になる、中国語で言論を発表しなくなったぼくのような人間も一人や二人ではない。そして、共産主義理想は、危うくウイルスの変異株の名称にされそうになったあのお方の個人崇拝ぶりを見れば、奈落の底まで堕ちたことが誰にもわかる。つまり、どのテーマにしても、十数年後の今の答え合わせとしては、「全く良くなっていない。それどころか悪くなっていることのほうが多い」ということになるだろう。

 

それなら、なぜ高名な学者らは、揃いも揃って楽観論に浸ることができたのか。対談が行われた時期を考えると、北京五輪を控えて国全体がドーピングしたかのごとく興奮していたため、その雰囲気に飲まれた可能性があるが、憶測に過ぎない。ここはやはり、彼らの言葉からそのヒントを探るしかない。

 

そこで手がかりとなるのが、関信平の見解である。社会保障を中心に話した彼は、中国の貧困地域での社会保障を長続きさせるために、「農村が長く経済成長を続けないことには難しい」と主張し、「経済成長を続ける限り、貧しい人たちは就業機会を見つけることができますし、福祉サービスの市場化の可能性も生まれてきます」と自説を述べた。この見解を園田氏は、「日本ではともすれば社会保障はパイの分け方の議論になり、経済成長からはあまり議論されない」と評し、「意外」と言ったのである。だが、ぼくからすれば、園田氏の反応の方こそ意外である。「いろんな問題があるけど、経済成長を続けているから、いずれ解決できる」という感覚は、政権が積極的にその論理を使って宣伝したこともあり、1990年代後半から中国を覆い尽くすものとなった。この本に登場する対談者も、農村出身で農民工問題を研究する王春光以外は全員がどこか経済成長の万能性を確信している節があり、その感覚は多くの都市住民にも共有されている。これこそが、楽観論の源泉である。

 

さらに、経済成長への確信は、中国独特の強力な政府の権力と結びつき、政府への過度な期待という副産物をも生み出した。園田氏が2008年に天津市民を対象に7つの社会問題を提示し、「それぞれの問題を解決すべきは個人か、政府か」と聞いたところ、「個人・家族の繁栄」以外は「政府」と答えた比率が5割を超え、しかもほとんどが85%以上となった。つまり、経済成長によって国が豊かになったからには、政府が責任をもって社会問題を解決すべきであると大半の中国人が考えており、政府への行き過ぎた依存と信頼が見て取れる。だからこそ、政府が「調和の取れた社会」(胡錦濤政権)、「共同富裕」(習近平政権)などと打ち出すと、今までなにも実現されていないにも関わらず、国民はほかに依存すべき対象がないために信用するしかなく、学者らも同様である。

 

しかし、経済成長と政府への依存から生まれた楽観論は、日本の知識人ーー少なくとも園田氏と巻末の対談の加藤千洋氏ーーには、別の状況として受け取られてしまったようである。両者は「インターネットが中国を変える」とし、ある種の「自由な言論空間」が形成されたと考え、いわゆる近代的市民が成熟しつつある可能性を見ようとした。そして中国の将来を左右するのは豊かになった中間層ではなく、まだ低所得な農民工や都市部のローワーミドルにあるとした。いずれも当時の状況を観察したものとしては間違いではないが、観察の背後に見え隠れするのは、市民の成長と民意の変化により、中国はよくなるだろうとする無意識のうちの思い込みである。つまり、中国人は「政府が責任を持って社会をよくしてくれる」と盲信しているからこそ楽観的なのに、日本はその楽観だけを受け取り、「市民の意見が社会を変えるだろう」と誤解しているのである。


この誤解は、民主国家に生きる人間には、独裁国家がいかにして効果的な言論統制を行い、いかにして経済力をつけてきた低所得者層を飼いならせるのかが、見通せないことを示している。一言で言えば、日本人は自身の経験からあまりにも市民の力を過信しすぎており、中国において政府がどれほど強いのか、考慮できていないのである。戦時中の歴史を知識として知っているだけでは不十分であり、中国に渡ったとしても、外国人として丁重に扱われる日本人は、いわば防護服を全身に纏った状態であり、到底中国の雰囲気を肌で感じることができないのである。

 

もちろん、このことによって本書や園田氏の研究の価値を否定しようとするのではない。本書の各研究者の主張は、可能であればぜひ多くの日本人に一読してほしいものであり、園田氏の中国史における教育と不平等の関係を論じた著書も大変興味深い。しかし、どちらの場合も忘れてならないのは、いかに優れた学者といえど、どこかで自分の価値観を再確認し自己満足に陥ってしまうおそれがあるということである。たとえそれが民主主義という名だとしても、である。