尾崎秀樹

勁草書房1969

 

この本でぼくは、久しぶりに最初のページで震撼させられる経験をした。まえがきにおいて、尾崎秀樹はこのように書いたのだ。

 

 阿Qが銃殺される直前にみた狼の眼に私がとりつかれたのは、兄が死刑になったときからである。私はそれ以降、この狼の眼の意味するものが何であるかを考えてきたが、今もって十分理解できない。

 兄ーー尾崎秀実がスパイ容疑で検挙されたのは、対米戦争の二月前だった。

 

また、阿Q正伝の記述と尾崎秀実の死刑に対する世間の反応を、こう比較している。

 

『輿論に至っては、未莊中一人の異議もなく阿Qを悪いものとした。銃殺されたことが既にその悪かった証拠だというのであった。もし阿Qが悪くないのだったら、どうして銃殺などされようということであった』

 という末尾の文章が私の胸にささった。尾崎秀実は絞首刑になった。絞首刑になったことがすでに悪かった証拠だというのか。

 たしかに兄の死を世間は一人の異議もなく迎えた。

 

この一箇所のみによって、ぼくはこの本を取り上げることに決めた。前回書いたように、日本には数多くの優れた魯迅研究がある。今後も絶えず出てくるだろう。それらと比べ、尾崎秀樹の本が特に優れているというわけではない。それでも取り上げるのは、尾崎から研究者にはない切実さを感じ取ったためだ。複数の記事で同じことを書いたことがあるが、日本人がみな漢学の素養を持つ時代はとうに過ぎた。今中国を読むのにも書くのにも「理由」が必要だ。テストのため、受験のため、就職のため、仕事のため、そんな実用性でもよければ、中国への警戒感・親近感・好奇心などの個人の感情に由来するものでもいい。とにかく、何らかの理由がなければ、自分の立脚点が不明確になり、書いたものが薄っぺらになり、読んでも頭に残らない。その点、尾崎秀樹の「理由」は、異論を挟む余地がないほど、十分に説得力を持つものだった。

 

 

また、直近のぼくの魯迅への関心も、尾崎秀樹を読む原動力になった。近代中国最高の文学者と思想家である魯迅の書くものは、限りない展開の可能性を秘めているなか、現在のぼくが最も関心を持つのは、彼が捉えた人間のあり方だ。日本の魯迅研究は文学、思想、近代史など各面から行われているが、「魯迅が考える人間とはなにか」という視点が意外にも少ない。そのなかで、尾崎秀樹のこの本は、兄が死に際に幻視しなかったかと想像し、そうした目を描くことのできる魯迅を読み進むことで、兄が見たかもしれないものを探ろうとした。だからぼくは、それを探る過程において、人間の本性とでも言うべきものに迫るだろうと想像した。とくに、同胞から売国奴と罵られた経験を持つ尾崎秀樹なら、痛みを伴う議論を展開するだろうと期待した。

 

ところが、拍子抜けなことに、尾崎はどちらかといえば、議論というより、魯迅の足跡をたどることに集中していた。日本に留学に来る船には、誰が同乗していたか。東京滞在中の日課がどうだったか。仙台医専ではどのような授業を受け、テストが何点だったか。魯迅の文学や思想を理解する上で、無意味と言わないまでも、それほど重要でない事柄まで逐一記録した。特に仙台では、魯迅の下宿先を訪ね、その周辺を歩き、日露戦争で捕虜になったロシア兵が収監されている部屋を魯迅が見た可能性があると想像をたくましくした。ここまで来ると、論文というより紀行文だ。紀行文がいけないというのではない。流れるような文章と、時折フラッシュバックのように挿入される魯迅のエピソードは、司馬遼太郎の『街道をゆく』を連想させる上質の作品だ。だが、尾崎秀樹はこんな読み物を書くだけで満足しているのだろうか。ぼくの心を打った「オオカミの眼」は、どこに行ったのだろうか。

 

ぼくはいぶかしがり、目次から尾崎秀実と直接関係する章に飛び、それらをつぶさに読んだ。尾崎秀実は『阿Q正伝』の和訳をしたことがあり、その経験が彼の人間観をどのように影響し、彼の行動をどのように左右したのか、尾崎秀樹の推測でもいいから読んでみたいと思った。しかし、ここでも予想を裏切られた。魯迅以外にも、スメドレー、宮崎滔天が登場し、もちろんゾルゲも一章を占めるほど登場したが、思想を含む人物の内面がほとんど描かれず、ただ魯迅の場合と同様、彼らの足跡を追い、その足跡が尾崎秀実とどこで交わったのかを確認するのみにとどまった。キーワードと思われた「オオカミの眼」は、足跡を追うなかで一度も登場せず、そのまま最終章に入っていった。そして、最終章で尾崎秀樹は思い出したかのように、「オオカミの眼」を再登場させた。

 

『藤野先生』に描かれた魯迅の内面の航跡が、よわい私の心のささえとなった。私は『オオカミの眼』につかれて、ただ夢中で生きていたようだ。生きているユダに描いたような、稚い、しかし無我夢中の生き方が、その過程のすべてだった(中略)しかしその過程で、私のいだく『オオカミの眼』は一まい、また一まいと、そのベールをはぎ取ってゆくことが出来た。

 

 

『生きているユダ』とは、尾崎秀樹が書いたゾルゲ事件に関する著書のタイトルである。「彼らは恥ずべき売国奴だったのか。戦争とファシズムの嵐に抗して、真の世界平和実現を目指した勇気ある「志士」たちではなかったのか」というのが、同書の主張である。なるほど、魯迅との対話がどんな意味を持つのかを理解するには、この本も読まなければならないだろう。たしかに、そこなら「オオカミの眼」がもっと頻出するかもしれない。だが、残念ながらそんな時間は今の所ない。それに、この箇所に対し、ぼくは違和感を覚えたのだ。それは、「尾崎秀樹の考えるオオカミの眼は、もしかしたら魯迅のそれと大分違うものではないのか」ということだ。

 

尾崎秀樹は、「私のいだく『オオカミの眼』は一まい、また一まいと、そのベールをはぎ取ってゆくことができた」と書いた。だが、なぜベールを剥ぎ取る必要があるのか。魯迅が想定した「オオカミの眼」は、何者にも包み隠されておらず、そこかしこに存在するものではないのか。尾崎秀樹を捉えて放さなかった『阿Q正伝』の当該箇所を見てみよう。

 

 今また、彼はこれまで見たこともない、もっと恐ろしい眼を見たのである。鈍そうでいて、そうしたまた、鋭そうで、もう彼をやっつけていながらも尚、彼の皮肉以外のものまで喰らおうとする様に……そうしていつまでも遠ざかりもせず、近づきもせず、彼を追っかけてくるように……

 その眼が、急に一つになったかと思うと、同時に彼の魂に咬み付いてきた様な気がした。

 『助けてくんろ!』

 心の裡で叫ぼうとして、まだ口に出さないうちに、彼の眼はくらんだ。耳もとでポンという音がした。同時に、彼の全身は粉塵になって飛び散るのを覚えた。

 

これは、阿Qが銃殺される直前のシーンである。刑場に連行されていく道中、彼は四年前に山中で狼に遭遇し、命からがら逃げてきたのを思い出す。そして、まわりの群衆に「もっと恐ろしい眼」を見るのである。阿Qの処刑を取り囲む群衆、その眼に映るのは見世物としての処刑だけであり、「全身は粉塵になって飛び散る」血生臭くも生理的興奮を誘う瞬間である。眼はそこらじゅうにがんのように蔓延しているものであり、ベールを剥ぎ取る必要がまったくないのだ。

 

その上、魯迅の描く群衆は、加害者としてのオオカミの眼だけをもっているわけではない。別の作品『薬』では、処刑を見物する群衆が次にように描かれている。

 

 老栓は注意して見ると、一群の人は鴨の群れのように、あとから、あとから頸を延ばして、さながら無形の手が彼等の頭を引張っているようでもあった。暫くは静かであった。ふと何か、音がしたようでもあった。すると彼等はたちまち騒ぎ出してがやがやと老栓の立っている処まで散らばった。老栓はあぶなく突き飛ばされそうになった。

 

ここでの群衆は、「鴨」であり、「無形の手」で首を掴まれる主体性のない存在である。鴨はオオカミと異なる集団に属するわけではない。恐ろしいまでのオオカミの眼を持つと同時に、いつでも首を掴まえられ、俎上に載せられる可能性のある鴨でもあるのだ。そのため、魯迅の視線は当時の中国の現状から出発したものだが、主体性を持たずに生きる人々すべてを捉えるほどの広がりを持つものであり、中国以外の国々、そして今の時代にも通用するものである。

 

それに対し、尾崎秀樹にとってのオオカミの眼は、特定の人々、それも特定の時代に生きる人々が持つものだ。ゾルゲ事件を描いた本では、彼が認定した尾崎秀実を告発した伊藤律が端的にオオカミの眼を体現し、本書では、尾崎秀実の遺族を売国奴と罵った同じ日本人がその代表とされたにとどまった。原稿を執筆した1960年代の日本へと批判を展開する可能性が終始見られなかったのである。魯迅に対しても、『祝福』などの作品を取り上げ、女性が因習によって犠牲になる構造を分析したが、その女性が同時にオオカミの眼をも持つことができる視点はついに見られなかった。きわめつけば、同時代の中国、すなわち1960年代後半、文化大革命に突入した中国に対する驚くほどの無感である。

 

1967年4~5月にかけて、日本の作家代表団のいち員として訪中した尾崎秀樹は、何人もの労働者作家、プロレタリアート作家と会談し、文壇のトップに君臨した郭沫若とも対話を持ち、そして群衆が熱狂する様子を見学した。茅盾、老舎、巴金など、インテリ作家の消息が途絶えたことを訝しく思いながらも、彼は「不自然でなく感じられる」と納得するのだ。そして魯迅について、次のように記している。

 

 五四時代の作家がほとんど姿をけしたなかに魯迅だけが毅然として威容を歴史にとどめている。それは結局彼の骨のかたさに関連する。『毛主席語録』と『紅衛兵』の波のなかにおかれても、かわらないどころか、かえって光輝をますところに魯迅精神の偉大さがある。そのことを私は『造反有理』と叫ぶ若者たちの表情のなかに教えられようだ。

 

「造反有理」と叫ぶシーンを目の当たりにしたことがないため、その場にもし居合わせたら自分が酔わされずに済むかどうかはわからない。しかし、紅衛兵という群衆の眼からなにも見いだせなかったのだとすれば、尾崎秀樹にとってのオオカミの眼は、少なくとも1960年代の時点では消失していたと言わざるを得ない。そんな状態では、オオカミの眼に覆い尽くされた中国で、良心ある作家がどのような運命をたどるのか、全く想像できないだろう。

 

と、手厳しく書いたが、ぼくは尾崎秀樹の魯迅解読が間違っているとか、無価値だとか言いたいのではない。魯迅に限った話ではないが、文学、哲学、歴史など人文学の読解は、基本的なルールさえ逸脱していなければ、どんなに個人的なものでも構わない。ぼくはただ、残念に思っているだけだーー魯迅研究がこれだけ盛んな日本において、魯迅が見出した「人間そのもの」を掘り下げようとした本が、尾崎秀樹のものを除けば皆無で、尾崎も人間一般への視線を持つことができなかった。このことは、何を意味するのだろうか。

これまで、4回続けて魯迅の作品を読んできた。最後の「起死」以外、どれも学生時代に何度も読んだことのある作品だが、歳を重ねるに連れ、さらにコロナ禍で世界と中国に対する見方が変化したため、以前と全く異なる感慨を持つに至り、長々と書いてきた。ほかにも取り上げたい作品がいくらでもあるが、魯迅にかかりっきりというわけにもいかないので、このあたりで魯迅自身の作品から離れることにする。

 

離れる前に、魯迅を読む上で大変お世話になった本を数冊ご紹介する。このブログの記事は、読み始めてから書き上げるまで1週間を目処に執筆しているが、魯迅の場合は読むのが速くても、書くとなるとなかなか筆が進まなかった。ぼくにとって魯迅があまりにも巨大すぎて、どこから手を付ければよいのかわからないためだ。そんなときは、今にらめっこしている作品を取り上げた研究書や論文を読む。すると、どんなに高名な学者が書いたものでも、「いや、そうじゃないだろ」と違和感を持つ箇所が必ず出てくる。そこで本を置いて魯迅に戻り、違和感の正体を確かめる。それを何回か繰り返すうちに、思考の方向性が定まってきて、「これならなんとか書けそうだ」となる。したがって、心折れず、方向を見失わずに4回書けたのは、ひとえにこれら立派な先行研究のおかげだ。

 

魯迅に関する先行研究の量は膨大である。日本語のものだけでも100冊以上はある。時間に限りがある今のぼくの生活では、すべてに目を通すのは不可能で、執筆の際に参考したのもほんの数冊のみだ。そのなかで、魯迅が生涯の各時期になにを経験し、その時期にどの作品を書いたのかがわかりやすく示されたのが、片山智行の『魯迅 阿Q中国の革命』だ。魯迅に興味を持ち、この人物の輪郭を知りたいのなら、読みやすい新書ということもあって、この本が最適だろう。ただ、魯迅作品に対する読解では首肯しかねるところも多い。片山が特に重要視したのは魯迅が使った「馬馬虎虎」(「いい加減な、不真面目な」の意)という言葉で、魯迅が終始中国や中国人の「馬馬虎虎」を批判し続けたというが、それでは魯迅を単純化させすぎている。近代批判、文明批判、人間存在への反省など、より深く掘り下げて読むべきだ。

 

 

作品の深読みなら、代田智明の『魯迅を読み解く 謎と不思議の小説10篇』がすばらしい。10篇といっても、ほかの小説や雑文を随時参照したりするので、魯迅の創作全体を理解することにつながる。また、代田は魯迅が身を置く時代背景に配慮しながらも、完全に引っ張られるのではなく、ときには大胆に自身の体験を中心に読解を試みる。たとえば、夢破れた旧友との再会を描いた小説「酒楼にて」については、それを森田童子の「ぼくたちの失敗」を比較し、魯迅の心境と大学闘争の熱気から冷めた日本の若者ーーおそらく代田自身の心境でもあるーーと並列させる。これにより、魯迅が一気に現代人一人ひとりにつながるのである。

 

 

「現代人から見て魯迅の作品にどんな意味があるのか」を知るのに最適なのが代田の本だとすれば、「魯迅という人間は一体どういう人だったのか」を知りたければ、山田敬三の『魯迅 自覚なき実存』を推したい。ぼくも魯迅から実存を読み取ろうとしたが、それはあくまで彼の晩年の作品にしか現れていないと考えている。それに対し、山田は魯迅が最初から最後まで実存主義的思考を貫いたと読む。しかも、作品を作者から切り離して考えようとする流行りの文学理論に背を向けるかのように、山田は魯迅その人と作品を同じ地平で捉え、数十年前と全く同じ手法で検討する。軽やかなフットワークで流行を追いかけるのではなく、学問に誠実な学者の姿がここにある。

 

 

上記の3冊は、いずれも文学者魯迅と同時に、思想家の側面を強く推す。それに対し、藤井省三の『魯迅と日本文学 漱石・鴎外から清張・春樹まで』は、魯迅と日本の文学者の作品の相互影響、作品感の相似性によって作品論を展開するかわりに、思想面には深入りしない。それよりも、松本清張と村上春樹に触れている点、さらに一箇所のみだったが『嫌われ松子の一生』と魯迅のとある作品の相似に言及するなど、単なる中国文学ではなく、日本文学、ひいては世界文学にとって、魯迅がインスピレーションの源泉になれることを示唆しており、魯迅をよく知らない日本の読者にとっても大変親しみやすく仕上がっている。

 

 

ほかにも、丸川哲史の『魯迅と毛沢東 中国革命とモダニティ』佐高信の『いま、なぜ魯迅か』も興味深く読ませていただいた。前者は魯迅を毛沢東と並べ、欧米のモダニティと異なるモダニティを構想した人物として描く。ただ、毛沢東の場合はそう言えても、魯迅がモダニティを構想したとは思えず、丸川の読みは魯迅を毛沢東の方に引き寄せすぎている感がある。後者は忖度がはびこる日本を反省し、魯迅から抵抗と批判を学べと声高に叫ぶが、魯迅を中心に扱った箇所があまりにも少なすぎる。彼の抵抗と批判の根拠が深い哲学的思索にあることを、もう少し明示しなければ、魯迅がなぜ抵抗・批判し続けたのかがわからなくなってしまい、本書の立脚点が崩れてしまう恐れがある。

 

 

 

そして、日本語で魯迅を読むのなら絶対に読むべきなのが、竹内好の『魯迅』だ。戦時中に書かれたこの本は、学術書というより竹内好の遺書である。ロクに資料が手に入らなかった時代に、竹内ただ魯迅のテクストに向かい、ある意味独断によって覚書のように書いた。その筆から溢れ出たのはもはや魯迅だけではない。読解を通して竹内は自己を発見し、自己の精神を持てるようになり、その上で戦後にあれだけの近代日本への根源的批判を展開できたのである。魯迅が絶望した状況は、まさしく竹内好自身が絶望した日本でもあった。だから、どうしても中国文学、中国思想と見られがちのこの本だが、実は丸山真男の『日本の思想』同様、近代日本を理解する上で必読だと思う。

 

 

さて、本としての価値はもしかしたら上記のいずれにも及ばないかもしれないが、最初のページで心打たれた本を次回取り上げる。尾崎秀樹の『魯迅との対話』である。

魯迅 著

竹内好 訳

岩波書店1979

 

 

 

たぶん中学生のころだったか、読書家の母に勧められ、魯迅の『故事新編』を読んでみたことがある。母の蔵書である単行本は紙が色焼けし、経年によるシミもところどころあり、とても面白そうには見えなかったが、「なんかふざけていて、とっても笑える作品なの」と言う母の言葉を信じ、「奔月」(月にとびさる話)を読んでみることにした。物語に登場するのは子供でもよく知っている美女仙人の嫦娥と彼女の夫の后羿、後者は大地を焼き尽くす寸前の太陽を射落とした大英雄だ。そんなセレブ同士の夫婦だが、魯迅の手にかかれば、世人が羨む天人の生活を送るどころが、日々些細なことで喧嘩を繰り返す世俗的な暮らしを余儀なくされる。たとえば、狩りから戻った后羿が鴉しか獲れず、「今日も、やっぱり運が悪くてね、どうも、鴉ばかりが…」と嘆くと、お嬢様嫦娥はたちまち「フン!」と柳眉を逆立て、部屋から出ていきながら夫を罵るのだ。

 

「またも鴉のジャージャー麺またも鴉のジャージャー麺!聞いてみるがよい、どこの誰が、年がら年中鴉の肉のジャージャー麺ばかり食べているか?なんの因果で、あたしはこんなとこへ嫁に来て、年中食べさせられるのが鴉のジャージャー麺!」

 

いくらゲテモノ食いの中華料理とはいえ、鴉を食べるのは聞いたことがない。鴉肉のジャージャー麺などなおさらである。そんなふざけた会話を随所に散りばめた「奔月」は、息詰まる重苦しさを持つ他の魯迅作品と比べ、少なくとも見かけ上は軽さを演出する。だから少年のぼくは、作者の真意がよくわからないながらも、話が面白いからさらに読みすすめることができた。

 

もう一つよく覚えていて、そして最も好きな話は、鍛冶名人の父親を王に殺された少年が、父が残した剣を携えて復讐に行く「鋳剣」(剣を鍛える話)である。「眉間尺(眉毛同士の間隔が1尺)」という一見ふざけた名前を持つこの少年も、実は伝承に登場する人物だ。敵を討とうにも勇気が出なかった少年だが、なぜか通りかかりの黒衣の男に全幅の信頼を寄せ、自分の首を預けて復讐を依頼する。そして黒衣の男も自分の命を犠牲にして約束を果たすのだが、話の流れ自体は伝承とほぼ同じで、魯迅の独創ではない。それよりも、次の描写が、魯迅の縦横無尽な想像力と筆力を強烈に印象づける。

 

(眉間尺の首で奇術を演じ、王が気を取られた隙に復讐を果たす場面)


「王は立ち上がって玉階をおり、暑さをこらえて鼎のふちから中をのぞき込んだ。水は鏡のように平らである。首は水中に仰向けに横たわって、眼を王に向けていた。王の視線が自分に注がれると、にっこり笑った。その笑顔を見て王は、見覚えがあるように思ったが、すぐには思い出せなかった。はて誰だったか考えているとき、黒い男は背の青剣を手に掛け、電光のようにさっとひと振り、ぼんのくぼめがけて斬り落とした。ポトンと音がして、王の首は鼎に落ちた。
    仇同士は目ざといもの、ました狭い場所での出会いとなれば格別である。王の首が水面に届くのを待ちかねて、眉間尺の首はその耳たぶにがぶりと噛み付いた。鼎の水は沸いて音立て、2つの首は水中に死闘をくりひろげた、およそ二十合、王の首は五ヶ所の傷、眉間尺の首は七ヶ所の傷を受けた。王はずるくて、いつも敵の背後に廻ろうとした。隙きをつかれた眉間尺は、ぼんのくぼに噛みつかれて、ついに身動きできなくなった。今度こそ王の首は相手を掴んで放さず、じわじわ蚕食した。痛い痛いと思わず叫ぶ子供の声が、鼎の外にまで届いたようだ。
(中略)
   さすがに黒い男もギョッとしたらしいが、顔色は変えなかった。目に見えぬ青剣を握った腕をおもむろに枯れ枝のように振り上げ、鼎の底をのぞき込む格好で首を伸べた。突然、その腕がまがり、青剣が背後から振り下ろされ、剣が触れると同時に首は胴をはなれて鼎に落ちた。ポトンと音がして、真っ白飛沫が四方へ飛び散った。
   水に入るやいなや、彼の首は王の首に襲いかかり、がぶっと鼻に噛み付いて噛み切らんばかりにした。たまりかねて『アッ』と声を立てる拍子に王の口が開いて、眉間尺の首はあやうく脱出し、逆に王のあごにがぶっと噛み付いた。彼らは力を緩めるどころか、ますます力を合わせて上下に引き裂いたので、王の首は二度と口がふさがらなくなった。そこで今度は、餓えた鶏が米粒をついばむように、眼も鼻もめったやたらに噛み付いて、王の顔を一面傷だらけにした。はじめ鼎の中を転げ廻っていた王の首は、やがて呻くだけで動かなくなり、最後は声すら立てず、吐く息はあっても吸う息はなくなった。
   黒い男と眉間尺の首も、おもむろに口を閉じて、王の首から離れて鼎の内壁ぞいに一周し、死んだふりでないかどうかを確かめた。まちがいなく息絶えたとわかると、四つの眼はにっこり互いにうなずき、そのまま目を閉じて、仰向けに水底に沈んでいった。」

 

魯迅の最初の小説「狂人日記」にも、猟奇的描写があったが、「鋳剣」の詳細さやスペクタクルさには遠く及ばない。この描写にどんな意味があるのか、或いは特に深い意味はないのか、作品が1927年に書かれたことを思えば、同時代に江戸川乱歩が怪奇趣味で鳴らしたことと共通する背景も考えられるだろう。ただ、そんなことを知る由もない少年だったぼくにとって、『故事新編』はただ強烈な印象だけを残してくれた。

 

そんな少年時代の印象に導かれ、再度本書を通読したぼくは、素直に一つ一つの物語の出来の素晴らしさに感心した。『故事新編』に収録されたのは、中国古代の神話と史書に題材をとったお話で、女媧、后羿・嫦娥、大禹、伯夷・叔斉、眉間尺、老子・孔子、墨子、莊子、中国人なら誰でも知っている超有名人が主人公だ。しかも魯迅は、彼らの伝説的な活躍を再度繰り返すだけの無意味なことをせず、むしろ伝説のイメージをひっくり返すような生活感溢れる言動を描写した。まえがきでの魯迅の言葉の通り、「古人をもう一度死なせるような書き方をしなかった」ことによって、神様や有名人たちが実に生活臭あふれるキャラクターに生まれ変わっている。よくもまあ史書に基づきながら細部に手を加えるだけでここまで魅力的に仕上がるものだ。このブログでも取り上げたことのある著名な魯迅研究者の銭理群氏が評する通り、『故事新編』の段階の魯迅の文学的技巧は洗練の域に達し、『狂人日記』などに見られるような、作者が我慢できずに登場人物に自身の主張を語らせるやり方をしなくなった。性急になにかを訴えるのではなく、真意を物語の筋書きと登場人物の言動の裏側に巧妙に隠す、行間や余白を読み取れる人だけが真意にたどり着けるーーそんな一歩引いた、余裕さえ感じさせる魯迅の姿がここにあった。

 

 

そんな作品群のなかでも、掉尾を飾る「起死」(死人をよみがえらす話)は何重もの意味で興味深い。まず形式からして、魯迅作品には珍しい一幕劇となっており、全編会話のみで構成される。その上、メインキャラの一人である莊子は、魯迅が「莊子の毒にあたっていた」と述懐するほどかつて心酔していた思想家で、「狂人日記」の狂人にもその影が見られる。にもかかわらず、ここでの莊子は空疎な観念論を繰り返すだけの論客であり、何かにつけては「オレは王の勅旨をいただいている」「おまえは高名な漆園の莊子を知らんのか」と、権力や名声に頼る俗物として描かれている。果たして魯迅は、なぜこんな莊子を書いたのだろうか。

 

その理由を探るには、やはり作品そのものを読んでいかなければならない。「起死」のストーリーはこうだ。

 

旅の道中でドクロを見かけた莊子は、この人はなぜ死んだのだろうと知りたくなり、生死を司る神を呼び出しドクロを復活させ、あれこれ話を聞こうとする。復活した男は、実は数百年も前に背後から強盗に襲われ、金品と服をすべて奪われたのだが、本人はただ一眠りしただけのつもりでいて、服と荷物がないのは莊子のせいだと疑い、彼の責任を追及しようとする。困り果てた莊子は仕方なく警察を呼び、自分の高名さによって丁重に扱われ、その場から無事脱出する。しかし復活した男はなおも自分の服を取り戻そうと譲らず、ついには警察も困り果てて、別の警察を呼ぶことにしたところで、話はピタリと終わる。

 

『故事新編』のほかの話では、必ず英雄や賢人が登場する。たとえ今落ちぶれたとしても、過去には喝采と尊敬を集めていた人物として描かれる。しかし、「起死」の登場人物に立派な人間は一人もいない。莊子は上述の通り俗物で、警察は平民には威張りたおし、有名人と知るや一転平身低頭するだけ。生死を司る神でさえ、莊子の依頼に応え男を復活させたのに、莊子が困り男をもう一度殺してくれと頼んだときには、姿さえ見せない無責任さだ。三者三様の言動は、まさしく魯迅が何度も辛辣に皮肉った当時の中国の知識人と権力者の姿だろう。

 

それに対し、ドクロから復活した男は、知識人や権力者と対立する側に立つ者として、いわゆる大衆の象徴として構想されていると見なすことができる。このように考えた場合、次の会話が実に興味深く思えてくる。

 

男 ーーああ、よく眠った。どうしたね?(あたりを見回して叫ぶ)ヤ、ヤ、わしの包みと傘は?(自分の体を見て)ヤ、ヤ、わしの服は?(しゃがみこむ)
莊子ーーまあ落ち着け。慌てるでない。おまえは今生き返ったばかりだ。おまえの持ち物はとうに腐ってしまったか、それとも誰かに拾われたのだ。
男 ーー何だと?
莊子ーーまず聞こう。おまえの姓名と住所は?
男 ーーわしは楊家莊の楊大でさ。学名は必恭っていいますがね。
莊子ーー然らばおまえは、何しにここへ来たのかな?
男 ーー親戚とこへ行くんでね。うっかりここで眠ってしもうた。(おろおろして)わしの服は?わしの包みと傘は?
莊子ーーまあ落ち着け。慌てるでない……まず聞こう。おまえはいつ頃の人間かな?
男 ーー(不審そうに)何だって?……「いつ頃の人間」とは何のことかね?……わしの服は?……
莊子ーーチェッ、おまえという男は、その知恵でよく生きておられるなーー自分の服ばかり気になりおって、徹底した利己主義者だぞ。人別さえはっきりせんで、衣服など問題になると思うか。

 

男は素っ裸だ、その状態で服が気になるのは当然というものだが、莊子はそれを「利己主義」とレッテルを貼る。しかも莊子は、「いつ頃の人間か」にのみ興味を持ち、目の前にいる男を見るのではなく、その周りの環境を探ろうとする。そこで、会話は次のように進む。

 

莊子ーーだからわしはまず最初に訊ねておる、おまえはいつごろの人間かとな。やれやれ、わからんのだな……しからば(考える)まず聞こう。おまえがまだ生きておったころ、村にどんな出来事があったかな?
男 ーー出来事?そうそう、きのう、阿二のかかあと阿七のばばあが喧嘩したっけ。
莊子ーーもっと大きなことはないかな?
男 ーー大きなこと?……じゃあ、楊小三が孝子ってんで表彰されて……
莊子ーー孝子の表彰とはいかにも大事件……だが考証がめんどうだな……(考える)何かもっと大きな、みんなで大騒ぎしたような出来事はないかな?
男 ーー大騒ぎ?……(考えて)うん、そうそう、あれは三ヶ月か四ヶ月前かな、子供の魂を取って鹿台の土台固めにするってんでな、みんなおったまげて、上を下への大騒ぎでさあ。あわててお守り袋をこさえて子供の体に……
莊子ーー(驚く)鹿台だと?いつの鹿台かな?
男 ーーつい三、四ヶ月前に工事をはじめた鹿台でさあ。
莊子ーーではおまえは、紂王のころに死んだのだな。いやはや、死んでもう五百年以上になるのだ。
男 ーー(むっとして)先生、わしはおまえさんと会うのは初めてだ。冗談はやめてくだせえ。わしはここで、ちいっと眠っただけだ。死んで五百年以上になってたまるか。わしは用があって親戚へ行くんだ。服と、包みと、傘をはやく返してくだせえ。おまえさんと冗談こいてる暇はねえだ。

 

莊子が確認しようとしているのは、男が生きた時代起きた大事件であり、それによって男の年代を確定しようとする。しかし、男にとっての出来事は、自分が暮らす村の日常生活でしかない。それでも莊子は、紂王の鹿台という大事件によってなんとか男の年代を突き止め興奮するが、男にとっては何の意味もない。消えた服と荷物を一刻も早く取り戻すことが、現時点での彼の関心事のすべてである。莊子を知識人の象徴だと見るのならば、彼によって蘇った男は、知識人が「啓蒙」を通して呼び覚まそうとする大衆だということになる。しかし、大きな歴史ばかりを眺め、観念的な議論を繰り返す莊子に対し、男は郷里の卑近な生にのみ執心する。この見事な対比によって、知識人の議論が決して大衆に届かない様子が、簡潔でありながら生き生きと描かれている。誠に恐るべき筆力だ。

 

それなら、知識人の代表である莊子の空疎さを際立たせることで、魯迅は大衆をせり上げようとしたのだろうか。たしかに、作品が書かれた1935年に思いを致せば、中国共産党がメキメキと力をつけた時期と重なる。魯迅は共産党に加入していないが、一応「中国左翼作家連盟」の重要メンバーであり、左派に属する立場にあった。彼が共産党の大衆路線に心打たれた可能性はあるのだろうか。

 

結論から言えば、それはありえないと断言できる。魯迅は当時、共産主義者の郭沫若らと激しい論争を繰り返しており、中国共産党の路線に共感していないことが明らかである。その上、中国共産党が構想する大衆と、魯迅が「起死」で描く大衆はあまりにもかけ離れている。前者にとっての大衆とは、プロレタリアートという階級に属する存在であり、いずれブルジョアジーを打倒し、階級そのものを消滅させる革命の主力と位置付けられる。したがって共産党は、大衆信仰とさえ呼べるほど大衆の存在そのものを極めて高く評価する。それに対し、魯迅の描く男は、「裸」である。衣服をつけず、外見からはどの時代のどんな職業の人かが全く読み取れず、一切の先入観による判断を拒絶し、彼自身の言動から彼という人間を観察するしかないのである。その言動にも、読者を感心させるところがまったくない。莊子の小難しい議論には耳を貸さないし、気になるのは自分の財物と身近な人々だけ。御大層な理念が彼の思考に入り込む余地はなく、プロレタリアートなどという、特定の価値を付与された階層のいち員として描かれているはずがない。一切の歴史的筋書きと権威から押し付けられた規範を排除し、ただそこに一人の人間が生きているだけ、これが「起死」の描く大衆の姿である。

 

そして、ぼくからすれば、これこそ「起死」の輝く所以でもある。かつて知識人の立場から痛烈な大衆批判を繰り返した魯迅は、何度も絶望に打ちひしがれながらも思考を続け、ついに自分自身をも否定し、最終的に前提条件を一切排した人間そのものの存在にたどり着いたのである。しかし、あまりに残念なことに、魯迅は自分が思考する人間そのものの姿を、さらに敷衍して中国の人々に伝えることができなかった。この優れて哲学的な作品の完成からわずか10ヶ月後、魯迅は55歳の早すぎる死を遂げてしまったのだ。

 

魯迅がキルケゴールに言及していることを考えると、思想史的に「起死」を実存主義の流れで読み直すことができるだろう。そこから魯迅全体を位置付け直し、「魯迅が構想した実存主義的人間像」のような研究を行うことも可能だ。しかし、晩年の魯迅の読んだぼくは、何らかの主義、流派に魯迅を閉じ込めることが、実は始めから大きなミスではないかと思い始めるようになった。むしろ魯迅は、いかなる既成の理論をも拒否したところから読まれるべきではないだろうか。そして読み進むうちに何らかの理論に接近しそうになったら、その理論と魯迅のテキストを突き合わせ、さらに読む人自分自身の生とも突き合わせ、理論を消化すると同時に、それを否定し再出発しなければならないのではないか。最終的には、魯迅さえをも否定することを目指して。

 

(魯迅の作品に関する感想は一旦終了。これまでの3回は下記の通り)