午前8時前、ホテルを出て、ハリー・ポッターも利用したパンクラス駅から目的地に向かう。空はまだ暗く、日の出は8時過ぎだ。その日の出も、日本で見るように、はるか彼方の空が少しずつ白んできて、オレンジ色の太陽がカッと顔をだすのではなく、「いつの間にか明るくなってきたなあ」という程度のものだ。冬のロンドンの雲が、あまりにも厚すぎるのだ。

 

 地下鉄に乗り込む。キュインキュイン、キーッと耳をつんざく摩擦音を鳴らしながら、丸みを帯びた車体が、今にも壁にぶつかりそうなほど、細いトンネル内を走り抜く。なるほど、これなら「チューブ」と呼ばれるのも納得だ。駅構内でフリーペーパーが配られていて、正面に座ったおじさんがそれを読んでいる。車内は古くて汚くて狭くて、おじさんは読み終わったフリーペーパーを席の上に放置したまま降りていった。そんなんでいいのかと考えていると、次の人が新聞紙を全く気にせずに、その上にドカッと体を下ろしたのだ。ほう、これがロンドン子なのか。

 

 

 目的地のベーカー・ストリート駅に着くと、大勢の人が降りた。地下鉄の駅は味気ないのが多いロンドンだが、この駅は古いレンガ壁が、ホームズの時代を思い起こさせてくれる。出口にはホームズの銅像があり、薄笑みを浮かべながら、どんよりとした空を眺めている。かの有名な221Bの前にはすでに行列ができていて、みんなが現実世界に飛び込んできたヒーローとの対面を心待ちにしている。

 

 それにしても、ホームズの物語を一つ一つ思い出すと、なんとここの情景にピッタリなことか。冬のロンドンは昼間でも黄昏前のような暗さ、午後4時には日が暮れてしまう。窓をいくら大きく作っても、室内に差し込む光はほんの少し。そんな憂鬱になるような街で起こる凄惨な事件、暗闇のなかで絶望に打ちひしがれる市民に救いの手を差し伸べるのは、根暗だけど全能なヒーロー。ホームズはまさしく、ロンドンで生まれるべくして生まれたのだ。

 

 覚悟はしていたのだが、ロンドン滞在の1週間で、青空を目にしたのは1日しかなかった。その日にハイド・パークに行ったのは、まさに幸運だと言うしかない。ホームズやゴシック建築なら、曇り空のほうが似合うのだが、水鳥が戯れ、リスが人を恐れずに近づいてくる公園は、やはり青空の下で楽しみたい。そういえば、ハイド・パークのすぐとなりはケンジントン宮殿で、いわば東宮御所のようなものだ。その周りの施設と言ったら、「王立なんとか」のオンパレードで、インペリアル・カレッジ・ロンドンのキャンパスの一つもここにある。全くの偶然だと思うが、このセレブでいて落ち着きのある場所でロンドンの貴重な晴れを体験したのは、市街地を覆う暗雲と同じように、なんらかの暗喩に思えてならない。

 

 

 

 幸い、今の221Bは笑顔と幸福感で溢れている。ヒーローとのひと時を楽しんだ世界中のフリークが、かつてコナン・ドイルがフィクションでそうしたように、自分たちの行動でこの街の一角を明るく照らしている。逆に言えば、この暗さがなければ、ホームズは生まれなかっただろう。いや、ホームズだけじゃない、ディケンズも、モームも、オスカー・ワイルドも、そしてJ.K.ローリングも、この街の息をもさせないような圧迫してくる暗さがなければ、あんな作品を世に出すことはできなかっただろう。偉大なる作品は、往々にして鬱憤から誕生してくるものなのだから。

 

 偉大といえば、偉大なるオックスフォードに行った日も暗かった。もちろん、オックスフォードは疑いもなく素晴らしい場所だ。ハリー・ポッターのホグワーツのモデルになったクライスト・チャーチは壮麗そのものだし、壁にかけられている偉人たちの肖像画にも身の引き締まる思いがした。アッシュモレアン博物館はミニ大英博物館の如く宝物であふれ、ブラックウェル書店はこの街に流れる知の血脈の最先端を教えてくれる。ああ、ここで研鑽できたらどんなに素晴らしいことかと、何度も思いを馳せながらも、ぼくは最後まで、一縷の不安を拭い去ることができなかったーー自分がここに来たとして、果たして心折れずに頑張れるのだろうか、と。

 

 

 オックスフォードに到着するまで、ぼくは密かに田園風景を期待していたが、待っていたのは揃いも揃って石造りの重厚な建物と、それを飲み込まんばかりの雲だった。ロンドン市街地との違いといえば、建物が少し低いという点くらいか。オックスフォードは立派で、あまりにも立派すぎて、歩きまわっているだけで、プレッシャーを感じずにいられないのだ。どんなに勉強をしていても、壁に目をやれば、偉大なる先達たちが「まだまだだな」とばかりに見下ろしてくる。外の空気を吸おうにも、数百年の歴史を持つ建物と曇り空で、息苦しさが増すばかり。一年前まで学問をやっていたから分かるが、研究がうまくいかないとき、人間は本当に自己懐疑になり、すべてを捨ててしまいたくなるものだ。それなら、ここの学生はーーそう思って調べてみると、案の定、自殺の報道が何件もヒットした。嗚呼……

 

 

 とはいえ、これは大学から逃げた負け犬の感想だから、当人たちはいとも簡単にここの重厚さを踏み台にし、上へ上へと駆け上がっているのかもしれない。あるいは、そもそも気にしていないのだろう。かくいうぼくも、暗い暗いと嘆きながらも、この暗さが嫌いなわけじゃない。ロンドンの暗さは、北京のように汚染で急にそうなったのではなく、気候と緯度のせいでずっとそうだったのだから、単なる日常の一コマに過ぎない。外来の旅行者が現地の日常を嫌うほど、ぼくはつけあがってはいない。

 

(了)