■ 2006年(平成18年) 歌謡曲 セレクション ~社会人25年生だったころ~パート1
15年前の香港は、1991年4月3日~4月16日までの2週間、ノートPCの開発
ということで、会社の仕事だった。
バブル当時は、JALのビジネスクラスに、一泊2万円以上もしたホテル、
ハイアット・リージェンシーに泊まっていたが、深夜までのハードワーク
だった。
そしてこの年のGWに、2006年4月28日~5月2日の4泊5日、プライベートで
香港へ。
「香港4泊5日 のんびりと風の吹くままにぶらりひとり旅
~風邪引きながらもウロウロして、中華にドップリってことや!」編
◎2006年4月28日(金)
やや小雨の香港、「チェクラプコク空港」に到着すると、「あー、これこれ、
中華の匂い!中華料理屋の匂いがするんや!」と、それに、生ぬるいような、
ぬくさ(暖かさ)で、長袖のカジュアルシャツが暑すぎる。
ホテルに着いて、早速お出かけ。
15分歩いて、最寄りの「モンコック(旺角)駅」からMRT(地下鉄)で
「チムサアチョイ(尖沙咀)」へ。
お買い物を楽しんでから、ぶらっと、海鮮料理の「チュッユン・シーフード
(竹園海鮮飯店)」ってところでコースの夜ごはんを食べて。
フカヒレがトロリとしててなんとも言えん。
ピリカラクラゲの冷菜は、クラゲが分厚くてボリュームたっぷりやった。
ロブスターぶつ切りのとろけるチーズ入り濃厚クリームソース。
香菜入れて蒸してしょうゆ味にして絶品のハタ。
お箸の先が割り箸のように四角で象牙かなんかなので、ツルツルと
すべってウマく身が取れないでいると、上品なオネエ店員サンが
なんかゆうてきたんで、、とりあえずOKってゆう意味でうなづいてると、
なんと、骨と身をきれいに分けてくれた。
干し貝柱や干しナマコなどが入ってる小盛チャーハン。
食後フルーツは、一口サイズのパイナップルとスイカ。
たらふく食べて、15年前の香港出張で覚えた「マイタン(お勘定)」
って言うて。
◎2006年4月29日(土)
朝、ホテルのビュッフェに行こうと、エレベータ待ちしてたら、背後から
バコッと肩をたたかれた。
ケンタッキーみたいなガタイのええ欧米おじさんがニコニコしてしゃべり
かけてきて、びっくりしてるもんやさかい、何しゃべっとんのか分からん
かったけど、多分、「旅行楽しんでるかい」ってなことをゆうてたんやろう。
日本人特有のはにかみ笑いで返したった。
風邪がぐずぐずしてて、のども痛い状態で、モンコック(旺角)をぶら歩き
して、露天市場で「のどと頭が痛~い」のんをアピールすると、おばちゃん、
「これ飲んでみてみ」って自信満々のおすすめで、ずんどうん中をしゃくで
すくって、なんかをまた継ぎ足して出してくれた。
その「かんぽ薬」は、茶碗に、でろっとした真っ黒な液体。しかも生ぬるい。
ごっつ~~ぅう、ニッガァ~~~ぁああ~~。一気に飲み干して。
後味にミントの味がスースーして。なんか効きそうな感じになって。
「ヴィクトリアピーク」に行くために、MRTで「セントラル(中環)」へ。
「ピークトラム」で「山頂駅」まで。
眼下に広がる絶景なる超高層ビル群と湾のコンビネーション。
山頂界隈2.5kmをうろうろと散策。
「セントラル(中環)」界隈でお昼ごはんを。
「大家族」ってゆう、中華のファミレス?ファストフード店?
壁に写真付きのメニューが貼ってあって、ライスとビーフシチューが
うまそうやったんで、それに決めた。
ごはんはあのパサパサ米やがてんこ盛り。
シチューはひと口食べたとき、トロっとしてて、「あっ、うま」って思ったが。
少々中華の香りがするが、色といい、ちゃんとしたビーフシチュー。
それが、食べてるうちに、これは普通の肉やないて分かった。
そう、これは、牛の腱やらホルモン類やろう。
そういうふうにメニューを書いておいてほしかったね。
「ウォンタイシン・ミュウ(黄大仙廟)」ってゆう道教のお寺に。
夜ごはん食べようと、チムサアチョイ(尖沙咀)界隈をうろついていたら、
おねえさんに声かけられ、店内は食べてるひとがぎょうさんいてて、
入ってみることに。ラーメン屋さんや。
2人前はあろうかのボリュームのひと口。スープで咳き込む。
やや酸味があって、ビーフのコクがあって、甘いねんけど、
あとからトンガラシの辛さ。劇アツの辛さが脳天にきて涙がでてしまう。
麺は日本の細うどんなみで、具はうす切りしたホルモンの煮込み。
店のおねえさんは気にして見てるので、親指立てにこやかに「グーグー」と。
◎2006年4月30日(日)
「深セン」ツアーに行くことに。
「ローウー(羅湖)駅」で下車し、中国本土との境界線をまたぎイミグレへ。
道路は整備されてて、高層ビルが。
動物の剥製の部屋やらの「深セン博物館」へ。
深セン特産のライチ入りのウーロン茶売りのしつこいおねえさん。
「中國文化村」でお昼ごはんは、まず脂汚れのお箸を拭くことから。
コーンスープ、麻婆ナス、タラの酢豚風、牛肉炒め、白菜炒め、
厚揚げ炒め、焼き飯。
料理に使ってる油が重油のような感じで。
中国21民族の民族村、中国の史跡、景勝地のミニチュアをみて。
モンゴル族のジンギスカンの騎馬アトラクションショーをみて。
どうってことない、「深セン」ツアーだった。
香港に戻って、「チムサアチョイ(尖沙咀)」の路地で夜ごはん。
小龍包、海鮮焼きそば、エビとカシューナッツ炒め、酢豚、アヒル蒸し物、
レバーの冷菜、クラゲの冷菜、それと青島ビール、うまかったねー。
そのあと、マンゴープリンが絶品やという「糖朝」に。うまかったねー。
◎2006年5月1日(月)
思いつきで、「ラマ島(南Y島)」行ってハイキングすることに。
「セントラル(中環)」から約20分、船に乗って、「ラマ島(南Y島)」
北西部の「ユンシューワン(榕樹灣)」に到着。
店員にメシかっこむマネして、店前の桟敷にある「テーブルに座っと
いて」と言われて、お昼ごはんを。
蒸かしてあつあつのせいろをあけて、「これか?」って聞いてきて、
うなづいてたら、取り皿に入れてくれる要領で。
小エビ蒸し春巻き、それと、ねっちゃりしたゼラチン質で、甘辛な鶏の
足指(鶏爪の豆鼓蒸し)、シュウマイ、チャーシュー饅でパンパンに。
山を越えて島の反対側の「ソックーワン(索罟灣)」までぶらぶらと
歩くことに。1.5リットルの水と・・・
バナナの木、南国の緑豊かな自然に蝶々がひらひらしてて。
雑草のような感じで、ブーゲンビリアの群生。
眼下に蒼い海。遠くに船が。緑に覆われた山が。島が。
フェイスタオルで汗ぬぐいながら・・・水で喉の渇きを潤して。
「ソックーワン(索罟灣)」のフェリー乗り場にたどり着いた。
乗り場がたくさんあって、いつフェリーが来るのかもわからん状態で。
東南アジア系のおばちゃんに英語で聞くが、「便があるか分からない」と。
そのうち、おばちゃんの友だちが、「ここで待ってたらええんや。
3時にフェリーに乗れる」と。
30~40分くらいボケ~っと待ってたら、ぼちぼちと人が集まってきて、
そのうちにフェリーがやってきた。
フェリーが出航してすぐに寝てもた。
フェリーを下船し、あてもなく、「セントラル(中環)」市街を放浪。
「ヒルサイド・エスカレーター」ってゆう、高低差135m、全長800mの
世界最長のエスカレータを上ったり。
◎2006年5月2日(火)
香港滞在の最終日、「モンコック(旺角)」界隈をうろつくことに。
肉まんと蒸し餃子を買って「庶民の市場」を食べ歩き。
魚屋がおもしろい。魚屋は海もんと川もんと分かれている。
「水魚」って書いてあるスッポンやカメが生きたまんまポリバケツに。
「田鶏」って、10cmくらいの土ガエル。網でくくってる。
おばあちゃん、手づかみでカエルをぱぱっとすばやくつかんで買ってた。
にわとり屋は、床に置いてる籠に生きた鶏が詰め込まれていて、
その籠の上には調理済みの丸ごとの鶏が吊り下げて並んでいた。
市場が始まったばかりのためか、これからお肉になろうとしてる
豚がで~んところがっていたり、牛肉屋は、かたまりの部位ごとに
吊り下げられて。
ホテル部屋に帰って、そこそこ片付け、12時少し前にチェックアウト。
◎エピローグ
角田光代「いつも旅のなか」ってゆう本。
いつ、どこにいても、なんかしていても、なんもしてなくても、
旅んなかにたたずんでいるってことに憧れてたとき。
デフォルトの日常生活があってこそ、たまに旅に出る、それも海外って
ゆう、なんか新しきをゆらゆらしながらみつけてみるのもええもんや。
◎粉雪(レミオロメン)
◎しるし(Mr.Children)
◎純恋歌(湘南乃風)
◎supernova(BUMP OF CHICKEN)
◎タイヨウのうた(Kaoru Amane)
◎旅人(ケツメイシ)
■ 花と野菜あれこれ ぱーと8・・・
秋の種まきはほぼほぼ完了して、玉ねぎの苗植えも例年より10日ほど早く、
ラストはえんどう、そら豆の苗植えと。
◎9月22日 紫苑 (しおん)が咲き始めた。2種類の色があったそうだが
畑の所々で、背が高く、追憶を奏でている
◎9月22日 ススキ。畑でちょこっと植えていたものがどんどん増えて
秋の七草に風流だけど、管理は大変よ
◎10月2日 さつまいも(紅はるか)収穫。1か月早めで今年はやや小ぶり
紅はるかは甘味にコクがあっておいしいよ。極上ふかしいもに
◎10月18日 前栽の金木犀は満開に。町じゅうは金木犀の香りにつつまれて
奏でる甘いハーモニーにリフレッシュするよね
■ 本のつぶやき・・・
木内昇「かたばみ」がおススメ。母の優しさ、輝く心、ハート型の3つの葉
が奏でる珠玉の感動小説は直木賞もんレベル。
垣根涼介「極楽征夷大将軍」は、直木賞受賞作を実感させる大作だ。
増山実「ジュリーの世界」、増山実は1958年大阪生まれの同大法学部卒。
とにかくなつかしいあの京都三条~四条界隈の情景が広がっていく。
塩田武士「存在のすべてを」、こういうのを書かせたらピカイチや。
◎最近読んだ本
ローベンハイマー、シンプソン「食欲人」・・・Eat Like The Animals
バッタから始まり、30年に亘る食の研究成果がここにある。
キーポイントは、”タンパク質欲”にあると語っている。
千早茜「マリエ」・・・理解に苦しむ別れを告げられたアラフォー女子
香りと匂いは揺れ動くこころ模様を表しているように。
ためらいととまどい。恋愛と結婚、そして人生のしあわせとは。
高田晃太郎「ロバのスーコと旅をする」・・・そこでロバに出会った
道草を食うロバを連れて、線と線を結ぶ歩き旅を。
そのロバとの旅は、青年のこころを満たしていく。
佐藤雫「花散るまえに」・・・心のままに。ああ、ガラシャ
辞世の歌「散りぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
”心は瑠璃の碗のよう”だと。歪んだ世の歪んだ愛に切なさが。
木内昇「かたばみ」・・・涙腺が緩む珠玉の感動小説だ
戦中から戦後の”なにくそっ”、”好きなものに向かう一所懸命”に。
それは”尊い道”だった。「焼け野の雉(きぎす) 夜の鶴」が響く。
垣根涼介「極楽征夷大将軍」・・・兄・尊氏、弟・直義、高師直を語る
「所詮は波の動きには勝てぬ」と無欲に言う。その清廉建白たるや。
弟の危機に覚醒する。その兄弟愛は強く。第169回直木賞受賞作
伊坂幸太郎「777 トリプルセブン」・・・ノンストップ伊坂ワールド
刺激的なストーリーは”柚子胡椒とチーズケーキの組み合わせ”。
あれよあれよという間にスパイラルに巻き込まれて。
吉川英梨「桜の血族」・・・抗争阻止に女マル暴刑事は奔走する
今にもくずれ落ちそうなバランスは紙一重なのか。それとも
”闇落ちではない、愛”なのか。冷徹、残虐の中で、つながりを描く。
増山実「ジュリーの世界」・・・そういえば、いてはったねー
1979年の京都、河原町通・三条通・寺町通・新京極通・四条通が舞台。
”時代の踊り場”という、ローカルな昭和ノスタルジーの世界へ。
塩田武士「存在のすべてを」・・・写実は存在を語る
誘拐事件は緊迫極まる。それから事件の真相を追い続けること30年余り。
ジョージ・ウィンストン「Longing/Love」の旋律は奏でる。真の愛を求めて。
■ つぶやきの日々・・・
10月21日 午前中は親戚の法事に。懐かしい話で盛り上がって。
とあるところがちゃっかりと受け継がれていることを実感してね。
夜は町会の防災総合訓練に向けて、自主防災会議があるので、
秋祭りのお神楽は家内に行ってもらってね。
10月20日 夕方、フットワークのいい市議さんが来訪。
先日要請していた町内13か所の交通安全の電柱幕の劣化対応について。
市の都市交通関連課による現地確認写真付きの検討結果報告書を
持参され、丁寧な説明を受ける。
すべて納得できた。
それと、市の管理地へのフェンス取付が完了した旨を聞き、一緒に
現地確認に。
10月20日 午後3時から雨予報なので、朝歩きなしの7時前から畑。
玉ねぎ用の畝を整えて。
途中、チャリで玉ねぎの苗を買いに行って。
種類は、早生、赤玉の中晩生、中晩生。
例年より10日ほど早いが。
帰ってから、午後1時過ぎまで、家内と玉ねぎの苗植えを。
10月19日 塩田武士「存在のすべてを」読了。
写実は存在を語る。
誘拐事件は緊迫極まる。
それから事件の真相を追い続けること30年余り。
春霞の情景。
ジョージ・ウィンストン「Longing/Love」
の旋律は奏でる。
真の愛を求めて。
10月19日 昨日は丁寧に若ごぼうに小松菜の間引きをしてたが。
今朝ショート歩きのあと、7時半から12時過ぎまで畑。
第2弾ほうれん草に、秋に初めての赤丸ラディッシュ、サラダ京水菜
を種まきして。
もみ殻と切りわらをたくさんもらったので運搬し収納。
昼からは町会のおしごとで、各種事務処理を。
10月18日 インクジェットプリンターが3度目の故障。
3回とも黒のみが目詰まりするという同一不具合。
前回再修理後、修理保証の3か月をやや越えてしまっているが、
修理窓口さんが困っているきもちに寄り添ってくれて、無償で対応
してくださるそうで。
10月18日 前栽の金木犀が満開に。
朝歩きは町じゅうが金木犀の香りにつつまれて。
その奏でる甘いハーモニーにリフレッシュや。
10月15日 朝8時半から、もう一つの校区での市民スポーツ祭の準備に。
役員7人がお手伝いに来てくれて。
10月14日 増山実「ジュリーの世界」読了。
そういえば、いてはったねー。
記憶の片隅に、「河原町のジュリー」。
1979年の京都、河原町通・三条通・寺町通・新京極通・四条通が舞台。
”時代の踊り場”という、ローカルな昭和ノスタルジーの世界へ。
六曜社、ほんやら洞、サザン、インベーダーゲーム、勝手にしやがれ…
10月14日 お昼から雨予報なので、朝7時半から12時半まで畑で畝づくり。
元肥をたっぷりと入れて、玉ねぎやえんどう類の畝を仕上げて。
朝8時半から造園の木つくり屋さんが来てくれていて、松をはじめ、
前栽の植木を剪定中。
金木犀や山茶花はつぼみがのってるので、後日、剪定すると。
10月13日 朝9時から12時半まで昨日の続きの畑。
第2弾のナスをたおして、ススキを伐採して、畝づくりを。
それと、スナップエンドウのポット蒔きを。
お昼は、天王寺かぶらの間引き菜の煮びたし。
香りが広がり、うまいねー。
それに、さつまいもごはんに、レモンたっぷりのさつまいもサラダ。
10月12日 朝8時から12時まで畑。
第1弾・第2弾ピーマンとししとう、第2弾ナスをたおして。
実がなり、まだ花が咲いていたが。
ススキの伐採をして。
畝づくりを。
お昼ごはんにさつまいもを蒸かしてもらって。
お塩をちょこんとつけて。
その紅はるかは甘みがすんごく濃いねー。
10月11日 吉川英梨「桜の血族」読了。
異色のタッチは、ここからはじまっていく。
抗争阻止に女マル暴刑事は奔走する。
今にもくずれ落ちそうなバランス。
それは紙一重なのか。
それとも、”闇落ちではない、愛”なのか。
仰天の冷徹、残虐のなかで、つながりを描いていく。
10月10日 毎日ウォーキング607日目。
徳島・阿南市(5,509km)に迫る5504.3km。
840万5,889歩。
大阪発~日本海沿い(金沢、新潟、青森、函館)~北海道一周
~太平洋沿い(八戸、東京、静岡、愛知、和歌山)、大阪、
兵庫・舞子、淡路島、徳島・阿南市。
1日平均9.1km、13,871歩。
Max17.5km、26,592歩。
10月8日 午前中の曇り空は昼から雨。
4年ぶりとなる市民スポーツ祭の開催準備で、朝6時過ぎに町会会館へ。
役員17人がお手伝いに来てくれた。
今年は午前中のみ。
ゲーム感覚の競技に、町内の住民50人が参加し、ひと時を楽しんでもらった。
来週はもう一つの校区で市民スポーツ祭が開催されるので、こっちは大変や。
10月7日 伊坂幸太郎「777 トリプルセブン」読了。
この刺激的なストーリーは”柚子胡椒とチーズケーキの組み合わせ”。
業界シニカルはもうコミカルでアクション。
ノンストップ伊坂ワールド、”777”。
ホテルにプレゼントを届けるというたったこれだけの仕事。
あれよあれよという間にスパイラルに巻き込まれて。
10月7日 例年より10日ほど早いが、突然の朝夕の急な冷え込みが気になって。
えんどう、スナップエンドウ、そら豆のポット蒔きを。
発芽が15~20℃、とはいってもあまり早く種まきすると、とう立ちが
気になるし。
毎年、まめの種まきタイミングは悩むねー。
10月6日 あさイチで市役所へ。
所内に、大阪・関西万博まで555日のカウントダウンボードが設置されていた。
防犯灯設置に係る補助金申請書を提出して。
歳末夜警時に参集した住民に視聴してもらおうと、まずは検討のために
各種防犯と防災のDVDを借用する。
防犯カメラ新設の進捗状況を確認する。
10月5日 本町の問屋で、POLOのトレーナーは2千円台で。
船場の問屋と心斎橋筋商店街では、婦人服の店がありすぎで、
パンツは110円からで、トレーナー系など秋カジュアルは2千円台までで
ぎょうさんあったわ。
しかも、新品を出してきてくれるという慮りがあって。
くだものやお菓子もめちゃ安かった。
10月5日 終日、家内と車でおでかけ。
本町の問屋、船場センタービル、心斎橋筋商店街でうろうろ。
洋服などに食品類、食べもんと。
なんでもかんでも、ええっ!これで?ってゆうほど、めちゃくちゃ安っいねー。
10月4日 朝、6千歩のショートウォーキングのあと、8時半から11時まで畑で畝づくり。
石灰をまいて耕してと。
昼からは所用のおでかけを。
10月4日 垣根涼介「極楽征夷大将軍」読了。
兄・尊氏、弟・直義、また高師直を語る上下2段組の552Pは圧巻。
これが第169回直木賞受賞作だと実感する。
尊氏は、ごく自然に従うように、「所詮は波の動きには勝てぬ」と無欲に言う。
その清廉建白たるがぶれず、ここにある。
弟の危機に覚醒する。
その兄弟愛は強く。
10月3日 ビワの木にのぼっているところに町会の役員がやってきた。
「声がしてるんですが、どこにいたはるんです?」と。
つい、「見ぃ上~げてごらん」と言いたくなって。
8月から懸案事項で取り組んでいた防犯灯の新設工事がようやく完了したとのこと。
市から補助金をもらうための実績報告書をみてほしいと。
10月3日 朝8時半ダッシュでぶっとおしの13時半まで畑で畝づくり。
畝の下を掘って、さつまいものつるの裁断処理を。
その途中、見上げるとビワの木が高すぎるのが気になって。
サルのごとく木にのぼり、てっぺんの枝を剪定。
そんなこんなでへとへとになったお昼ごはんは午後2時から、「よ~いドン!」
を見ながら。
10月2日 朝9千歩あるきのあと、9時から13時半まで畑。
わけがあって、1ヵ月は早い、さつまいも(紅はるか)。
結構な労働で、いも掘りをして。
昨年より肥沃な畝のせいで、やや小ぶり気味かな。
おいもさんは、おすそ分けには人気があるよね。
10月1日 朝9時から12時まで町会会館で、赤い羽根募金の集金立会いに。
その合間に3役で会議を。
10月のスポーツ祭、老人会バス旅行、また11月の老人会食事会、防災総合訓練
の準備について。
12月のおもちつき大会、歳末夜警の企画について。
そして次年度の4役・役員選挙とその他役員人事、総会について討議。
10月1日 昨夕、2時間にわたり墓地委員会の4役会議。
ルーツが途絶えるはかじまい関連の審議がふたつ。
ひとつは、末期がんで施設に入居されていて施設事務員経由で入電。
はかじまいして無縁ぼとけに入れたいとのこと。
直に話を聞きにいくことに。
いずれにしても法律関係に加え倫理的なことが加味され気が重いね。
9月30日 早朝の町内すみずみウォーキングは、8.3kmの11,928歩。
町内地図を片手に、電柱貼付の交通安全の注意看板をすべてチェック。
破損・劣化により交通安全の目的を果たせず美観を損なう看板は、
13か所と結構見られた。
市の交通課への対応要請書を作成し、市議さんに手渡そう。
とりあえず汗だくや。
9月29日 夕方、町会役員が来訪。
8月から手続きに面倒がる業者のために、ずるずるになっていた防犯灯の
付替えの件、新たに業者を開拓し、進行しているとのこと。
市などへの書類手続きの手間賃を取られ、やや高めやけども、機動性はあるね。
9月29日 久しぶりに、あのでんきやさんへ。
ほぼほぼげんえきくんのおひるやすみにちょこっと顔出して。
おしえごが卒業ということで記念品贈呈に賛同し、その代金支払いに。
かいしゃのそしき状況や、ローカルなひと状況などを聞いてみると、
ちょこちょこっと変化があって。
9月27日 朝9時半から13時過ぎまで、畑で菊のお手入れを。
支柱を打ち込んで紐くくり。
追肥をして堆肥を撒いてね。
まもなく来客対応を。
9月26日 木内昇「かたばみ」読了。
母の優しさ、輝く心、ハート型の3つの葉。
そう、「かたばみ」は何度こけかけても、くじけず立ち上がる。
戦時中から戦後の”なにくそっ”、”好きなものに向かう一所懸命”に。
それは”尊い道”だった。
「焼け野の雉(きぎす) 夜の鶴」が響く。
涙腺が緩む珠玉の感動小説だ。
9月26日 朝9時半から12時半まで、ダブルマスクして、駐車場で除草剤の散布を。
夕方に、市の交通課と議員さんから対応報告の入電が。
早速、チャリで巡回し現地を確認。
これで、「道幅狭し」看板の付替えが完了。
また、町内7か所の「(自転車、歩行者)とまれ」路面シールの貼替が
完了した。
9月25日 朝9時から12時過ぎまで畑。
畝をととのえて、小松菜、水菜、菊菜、サラダ京水菜の種まきを。
それから、すだちの剪定をと紫苑(しおん)の紐くくりを。
9月24日 朝歩き9,000歩のあと、9時から14時過ぎまで畑で畝を整えて、草引きをして。
9/15に蒔いた若ごぼうが発芽せず、別の畝で再び種まき。
そして、レタスミックス、大阪しろ菜、ほうれん草の種まきを。
9月23日 朝9時から12時まで脚立にのぼって前栽と庭。
おもてとうらと、たっぷり木々の消毒を。
ダブルでマスクしててもあかんねー、時間たつとからだだるいねー。
9月22日 雨上がりの涼しさに歩き過ぎの8km、12,600歩のあと。
朝9時半から13時半まで前栽で木つくりの続き。
彩り豊かな毛虫がいてるなかで脚立はゆらいで。
つばき、ハナカイドウの剪定と槙の刈り込みを。
9月21日 佐藤雫「花散るまえに」読了。
辞世の歌、「散りぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
がこだまする。
夕空のような深い青は人の優しい心を表していると。
かけがえのない綺麗な目だった。
が、”心は瑠璃の碗のよう”だと。歪んだ世の歪んだ愛に切なさがこみ上げる。
心のままに。
ああ、ガラシャ。
9月21日 9,200歩の朝ウォークのあと。
雨降る前にと、9時半から14時半までノンストップ前栽は。
つばき、デュランタ、ハナズオウの剪定と、脚立にのぼって、槙の刈り込みを。
9月19日 高田晃太郎「ロバのスーコと旅をする」読了。
そこで、そのロバに出会った。
そして、道草を食うロバを連れて、線と線を結ぶ歩き旅を。
歩いたらどこでも行ける、ロバとともに。
幾度となくやってくる人とロバとの出会いと別れ。
傷つき、元気づけられて。
そのロバとの旅は、青年のこころを満たしていく。
9月19日 朝10時半から13時半まで前栽とお庭。
ちょっと早いがぼちぼちと。
美しいピンク満開を終えた百日紅の剪定を。
そのあとに、形を作りつつ、柊の刈り込みを。
9月18日 1万歩の朝ウォークから帰ってきてから、9時から13時半までおうちのまわりの
草引きをもくもくと。
曇り空はやや涼しくも、時折り強い陽射しが。
腰痛いわ。
9月17日 千早茜「マリエ」読了。
夫から「恋愛がしたい」と、理解に苦しむ別れを告げられたアラフォー女子。
ふつふつと届く香りと匂いは揺れ動くこころ模様を表しているように。
新しい旅立ちに向けてのためらいととまどい。
恋愛と結婚、そして人生のしあわせとは。
9月17日 陽射しは強い朝8時半から11時半まで町会活動を。
80歳以上の住民が約120人。
それと、高齢者ひとり暮らしの住民数十人。
役員9名が4班に分かれて、敬老の日をお祝いする友愛訪問をした。
声掛けをし、こころばかりのお祝い金をお渡しして、すんごく喜んでもらってね。
9月16日 夜7時過ぎから10時前まで町会。
9月度の班長定例会を開催。
大きな声を出して、しゃべくり疲れて。
そのあと、役員により町内を巡回する防火・防犯パトロールを実施。
9月16日 朝8時から11時まで町会会館。
9月度の班長定例会の準備に。
8月は休会だったこともあって、今月度はネタがごっつう多くて、回覧板は
情報満載や。
そのあとの4役会議では現況の情報共有、スポーツ祭の準備の再確認、
明日の敬老の日の友愛訪問の準備。
それに、12月度のもちつき大会と歳末夜警の企画構想を。
9月15日 ローベンハイマー、シンプソン「食欲人」読了。
原題は「Eat Like The Animals」。
30年に亘る食の研究成果がここにある。
バッタから始まり、マウス、サル、ヒトへと立証を続けていく。
膨大な量の実験データは食欲に関わる神秘を解き明かす。
そのキーポイントは、”タンパク質欲”にあると語っている。
9月15日 朝6時半から9時まで畑。
畝を整えて、天王寺かぶら(中かぶ)と若ごぼうの種まきを。
9時半から10時半まで健康診断。
胃レントゲン(バリウム)を忘れてて、畑から帰ってから水を400ml飲んでて。
ダメもとで検査を。
OPの各種腫瘍マーカー検査を。
花を買って帰って、朝食を食べてから、お墓参りに。
9月14日 朝8時から12時までと、午後1時半から4時まで畑。
植える畝をきれいに整えるのに手間かかるねー。
わけぎの株植えをして。
わけぎの株はまだまだ余ってるが。
若ごぼうの種取りで指の腹はざらざらに。
丁寧にだいこんの種まきをして。
だいこんは順々に間引きして冬に85本を収穫する予定。
9月14日 今日にもアレ。
神戸のテレビ局、サンテレビありがたいねー。
解説は、真弓明信、掛布雅之の両氏やと。
9月13日 夕方、市議さんが来訪。
LED防犯灯の付替え許可申請書の件で説明を受ける。
この申請書、かなりのボリュームや。
それも、市と警察署の2部が必要。
それで町の電器屋はめんどくさいと思って、町会にふってきたんやろう。
9月13日 市に要請していた劣化した「道幅狭し」看板の付け替え。
車が神木に当たったらバチ当たるからやで。
市から入電。
課によって対応が違うね。
道路関連は行動が迅速やが、この交通関連は茹でがえるみたいや。
たかが看板に設置に1か月かかるという。
まさか、新規に印刷の版を作るんやろか。
9月13日 朝7時半から12時半まで畑。
モロヘイヤ、第2弾のオクラをたおして。
ユスラウメの剪定をして。草引きをして。
ラストの畝づくりは陽射しが強くてくらくらもうろうと。





































