徒歩専門 | 日常 OF THE DEAD

日常 OF THE DEAD

総合自分自身芸術家
炬燵の王様チョップ・イチロットン
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先日、ノースFMの若いパーソナリティに「チョップさんを昼間の街で見た。オモロかった」と言われた。

そして、昨日も用事で局に行った時、スタッフの女性から「こないだ、昼間にチョップさんが道を歩いているのを見た。なんか、違和感があった」と言われ、さらには「昼間も“いる”んだ、あはは」と笑われた。


ん⁉︎

僕は、昼間はこの世にいないことになっているのか?

昼間の街に僕は違和感なのか?

そう、どうも僕という人間は「夜」、もしくは「深夜」のイメージらしい。

そういえば、確かに夜は、どんなに久しぶりの人に、どんなところでバッタリ会おうとも、なんら普通に、当たり前のように「やあ!」と言われるだけだ。

ところが、昼間に誰かとバッタリ会おうものなら、まずは「何かあったんですか?」と心配され、不審がられ、

しかも、それがスーパーの店内だったりした日には、何故か「爆笑」されたりする。


いったい、それはどういうことなのだろうか?

僕だって普通に、昼間に銀行へ行くこともあれば、郵便局にも行く。

役場に行くこともあれば、朝から健康診断に行くこともある。

又、すると「健康なんか診断するんですね、あはは」と笑われたりもする。


かつて、横溝正史の小説に『夜歩く』という作品があったが、

僕はさしずめ、「昼歩く」だ。

いや、「むしろ昼歩く」だ。

むろん、夜も歩く。


というか、僕はもう、この2年ほど自動車を運転していない。

完全にペーパードライバーだ。

紙だ。

そう、僕はただの紙だ。

かの自分は「世界は紙で出来ていました」と言ったが、

僕こそが紙であり、僕こそが世界だ。


そして、僕も歳を取り、やがて老人となり、

いずれはカートなりを押して歩くことになるだろう。

そんな時、僕はちゃんと昼間に存在しているのだろうか?

それとも、今と同じく、「夜だけのヴァンパイア」なのだろうか?


できることなら、僕は歩いてたどり着きたい。

ゆっくりと、時間をかけてもいいから、

歩いて、

君のもとへ