朝、燃えるゴミ出しの日を間違えて、曜日感覚が着実に失われつつあることに気付きました。
労働は曜日感覚を養うことだけには役立つなと思いました次第です。
あと2週間で、近畿選手権本戦です。
幸運にも育休前最後!と決めて出場した予選で通過できたため、目下ここを見据えて練習を積んでいるところです。
これまではポンボットの球出しピッチを徐々に上げていったり、新たなメニューを開発したり…と2ヶ月ぐらい対マシン練だけの日々でしたが、
直近は何とか平日昼間に時間のある有志と練習したり、現役大学生の自主練時間にお邪魔させてもらったり…で、対人経験値を少し稼いでいます。
当日を迎えるにあたり万全の準備ができる状況ではありませんが、どう考えても人生中圧倒的最高難易度の関門を突破して獲得できた枠(当社比)なので、せっかくですからその中でも出来る限りの準備をして臨みたいと考えています。
別にシード枠を取れるぐらい勝ち上がるでもなければ、後々何かに繋がる訳でもないので、初戦即敗退でもタヒにはしないのですが、やはりせっかくの場なので1試合でも多くやりたいですね。
少し前に松島輝空選手の「二度と行きたくない」発言がうっすら物議を醸して話題になっていました。
https://world-tt.com/blog/news/archives/206045
松島選手と僕のうっっっっすい体験を同じレベルで語るのもどうなの、という極めて真っ当な指摘はありますが、「わかる。」て思いました。
「しょーもない試合して負けるんやったら、どうせなら俺出せ俺に卓球させろ」
と思ったんでしょう。
いや知らんけど。
すみません思ってたのは過去の僕です😇
選手でありながら調整練習だけ付き合ってあとは応援だけする身分であったり、もはや会場の応援席から声援送っているだけの身分(それも半強制)というのは、どうしても時間を奪われている気分になります。
どうせやったら勝てよ
もしくは俺に試合出させろよ
負けるぐらいやったら俺が卓球できたはずの時間返せよ
ぐらいのことは思って普通です。
いや知らんけど僕は思う😇
そういう思いに対する抗弁としては、
そもそもは選考にあたってはルールがあり、そのルールに則り選抜されており、そしてその多くは弱いから選抜されなかっただけなので、端的に言えば
「知らんがな。弱くて選抜されないお前が全部悪い」
が真理ではあるはずです。
ただ一方で、その時々の「結果」はコントロールできないものであって、やはり圧倒的実力者を除いたボーダーラインの戦いというのは、実力以外の運や経験その他、数多くの要素が絡んでいるのが現実です。
選抜されて試合に出る人とは、そうした人間の忸怩たる想いも背負って試合する訳ですから(そこに無自覚な人は、国家代表レベルでは絶対にいない)、だからこそ色々尊いわけですね。
パリ五輪で言えば、男子団体の対スウェーデン戦でのKカールソンの戦いぶりに特にそれを感じたところです。
カッコよかった。
と、なぜこういうことを書くのかというと、
僕は人生中で「自分は選ばれている」ということに無自覚である期間が極めて長く、
「基本的に選ばれてない人間というのは、ひとえにお前の能力や努力不足その他の所為であって、全部お前が悪いので恨まれるような筋合いは一切無い」と思い続けていた一方、
こと卓球においては「選ばれない側」の人間だったため、「選抜されて試合に出る」という経験が乏しく😇、応援席やベンチから呪詛にも近い声援を送っている期間の方が長かったからです😇
内なる過去の僕から呪詛を送られることのないよう、せめて出来る限りのことをしよう…と思い、意識しているところであります。
で、対人練習が少し可能になってから本戦まで残り僅かです。
対人では時間や機会が限られているため、限定的な状況でのシステム練は最初の乱打ぐらいです。システム練はマシンに委ねます。
他は自分のサーブ3球目にだけ制限を課した状況下でのかなり実戦に近い形式か、ゲーム練習。
もはや対人練習がオープン戦みたいな意識になっており、そこで得られた課題を持ち帰り、その課題にあわせて自宅練でポンボットに新たにメニューを作成し、既存メニューを調整し、そして次の対人練習で実践して課題を持ち帰り…といった、ちょっとアレな状況であります。
言うて時間がないので出来ることといえば限られていますが、少しでも良いパフォーマンスで当日を迎えたいですね。
僕が社会人になってすぐにポンボットが発売されてたら今頃…みたいなことは思います。
労働に縛られた令和の時代の若年社会人さんには、
一人暮らしであろうとポンボットと卓球台を買って設置できる場所に引っ越せ(近隣住民対策も併せて考えろ)
と提言しておきたいです。
環境を整えやすい時代になりました。。