12/23、24と2日続けて練習しました。
12/23は、50代前後中心のおっちゃん達と。
12/24は、イブにも卓球する大学生達と。
1ヶ月ぶりの卓球で、おっちゃんと練習・試合している時、改めてずっと考えてました。
なんでおっちゃんは、ワンコース打ちでも、毎回こんなに球が汚くて、返球コースもばらっばらなんやろう…?
(複数段持ちの強キャラおじさまを除く)
なんでこのコントロール精度で、フォームも汚いのに、返球率だけはやたら高いんやろう…?
なんで練習量落ちてる時の対おっちゃん戦は、こんなに苦戦するんやろう…?
返球する感覚とフットワークが鈍っているので、ラリーになるとミスが出てしまい、しんどくなります。
結局は、おっちゃんが物理的に返球できないコースに打って勝つものの、そこに至るまでの過程でかなり必死に返球してるので、ストレート勝ちでも、ギリギリ感が強く、あまり気持ちよく勝った感はありません。
一方、そこそこの大学生の場合、技術力もあり、ある程度狙ったところに打てるコントロールもあり、ぱっと見の卓球レベルはとても高そうで、普通に考えておっちゃん達より苦戦しそうなものなのですが、割と気持ちよく楽に勝てたりします。
綺麗な球だから打ちやすいというのもありますが、おっちゃん達も結構よく打っている人達なので、球慣れという意味では、初見の大学生の方がよっぽど回転やコース取りに慣れていません。
発展途上な学生達にとっての、草大会での壁になりそうなおっちゃん達と、現役学生とで、何が違うのか、(暇なので)考えました。
■そもそも卓球に取り組む姿勢が違う
「せっかくやるからには、上手くなりたいな。」が学生。
「細く長く卓球を楽しんで、健康維持できればいいな。
ついでに卓球が上手くなったらいいな。」が愛好家のおっちゃん。
学生は、半年も見なければどんどん上達していきますが、愛好家のおっちゃんは、怪我などがない限り、2年ぶりに見ても、相変わらずいつも一緒です。
■取り組む姿勢が違うと何が変わるのか
「ついでに上手くなったらいいな」では、ミスした時の反省や意識が薄くなり過ぎるので、いくら練習していても、毎回同じミスをします。
辛辣な言い方をすれば、全く学習しません。
かなり練習してるのに、ずっと停滞している人は、こういう人です。
ですが、そんな停滞している愛好家のおっちゃんでも、苦戦します。。。
現役学生は、良くも悪くも美しい球、より良い球を追い求めがちです。
課題練習などもあるので、練習相手がコース指定してくると、オーダー通りできなければ、練習相手に迷惑をかけてしまいます。
そういう意識からも、難しい球だろうと、頑張って狙ったコースに返球しようとします。
そして、ミスします。
この練習中のクセが、試合でも出てきます。
一方、向上心を置き去りにした愛好家のおっちゃん達が見ている世界や意識というのは、学生とは全く異なります。
「俺にはどうせ無理だから、形は悪くてもとにかく返球しよう」
という諦め・開き直りがまずベースにあります。
この境地に達すると、おっちゃん特有の身体の使い方のクセ等から、ある一定のボールが来ると一定の場所にしか返球できない…ということが起こります。
特に難しいボールが来たら、とりあえず自分が返せるコースに入れます。
このおっちゃんの性質は、対戦相手…特に学生からすれば、セオリーから外れたような不規則な場所に返ってくるため、非常にやり辛いのですが、おっちゃん自身からすれば、極めて規則的に返球していることになります。
この「不規則な場所にしか返球できない」という状況は、学生にとっては修正対象ですが、愛好家のおっちゃんにとっては、とりあえず入るので修正が必要ではなく、そんな自分のありのままを受け入れています。
そして、「ある一定のボールをバラバラな一定の場所に返す」ことをひたすらやり続けることにより、決して相手台のピンポイントを狙うコントロール精度が上がることはありませんが、卓球台全面に対する返球率は上がっていきます。
■実際の試合でどう変わるのか
学生は、溢れんばかりの向上心が仇となって、練習中のプレイ、自分がまだ試合で使えないレベルのラリー展開をやろうとし過ぎます。
難しいボールでも、自分の理想のコース・理想の弾道・理想の回転で返球しようとして、凡ミスをします。学生は粗い、と言われる所以です。
(競技力を向上させるには、絶対必要なステップですが…)
一方で愛好家のおっちゃんは、
「ある一定のボールをバラバラな一定の場所に返す」
ことだけを普段からやり続け、そんな自分を受け入れているので、試合中もそれしかしません。
向上心と引き換えに、自分の身の程を知っています。
自分が試合中にできることは何なのかを熟知しています。
意識せずとも、自然とそれが染みついています。
一般的には不規則に見える返球から展開される、自分なりのラリーも熟知しています。
これが愛好家のおっちゃんの、そこそこの強さの秘訣なのだろうと思います。。。
こうなると、試合での安定感に繋がってきます。
向上心は捨て去っているので、いつも同じ形でのミスはしますが、粗くはないので、いつも返せるボールに対する凡ミスや、とりあえず入れるだけのミスは、少なめです。
この「そこそこの強さ」の壁は、強豪校でもない中学部活スタートの、発展途上の学生にとっては、結構な高さだったりします。
■愛好家のおっちゃんに学ぶ、練習の理想的な取り組み方
『試合は練習のように 練習は試合のように』
とよく言われますが、そのまま言葉通り受け取ると、当てはまらない時もあると思います。
卓球の競技力を上げるには、常に試合を想定した練習が必要なのは絶対ですが、言葉通りの形で究極形を体現しているのは、愛好家のおっちゃんなのではないかと思います…。
「そこそこの強さ」で停滞してしまうことになるおっちゃん達ですが、学ぶことも多くあります。
一方で、学生によくある取り組み方も、間違いではありません。
本当は、2パターンの理想的な取り組み方があるように思います。
練習1 試合本番で使うパターンの精度を高めるための練習
まさに「試合のように」やる練習です。
自分ができることを知り、それを確実に遂行できるようにする練習。
試合本番での、勝負所でもミスを無くすための練習です。
練習2 質を高めるための練習
自分ができることの少し上や、できる技術を増やすことを目指して、試合で使えるレベルに持っていくための練習です。
ほとんどの学生が、ほとんどの時間を費やしているだろう練習です。
学生は普段からこればかりなので、今の自分のレベルより少し上の練習をしている自分が、普通になってきます。そうすると、学生は、自分に何ができて、何ができないのかが客観視できず、分からなくなりがちです。
あたかも、ちょっと上のレベルの練習をしている自分が普通であり、最低限であるかのように錯覚してしまいます。
社会人になると、現役の時より弱くなった自分と向き合うことが多いので、自然と自分のレベルを客観視する機会があり、自分が大体どの辺りのランク帯にあるのか分かってくるのですが、学生は、自分のレベルを実際の自分より結構上に思いがちです。
先日も、現役の子に
「試合中だと、まだバックで3球目振れるレベルではないよね、そこが強化ポイントだよね」
…とアドバイスした時、最初「え…そうですかね?」と、ちょっとムッとされてしまいました。
(僕も学生の時そんな感じだったので微笑ましいのですが。。)
練習時の、決められたコースで返球できている自分のイメージが強すぎて、試合中での明らかにミスを量産している自分を客観視できないと、そうなりやすいです。
狙おうとする球、振っていく場面は合ってるとは思うけど、やっぱり決めたい場面で何回もミスってしまってるから…と、意図をちゃんと伝えると、分かってくれたように思います。
練習1と2を明確に自分の中で定義できて、練習の目的を細分化できていると、試合でも強くなる効率が高まると思います。
学生は練習2に偏りがち。
社会人になると、練習時間が取れなくなるので、練習2に時間を割くことができなくなり、自然と練習1の比重が大きくなります。
■試合の理想的な取り組み方