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書きたいだけのやーつです
前記事から慣性が作用しました。笑
何度か触れてますが、自分自身カットマンしてて思うのは、
カットマンは圧倒的に燃費が悪い
ということ
カットマンをやることのデメリットを挙げればキリがありません
○攻撃型の選手よりも試合を組み立てるのに必要な技術が多い
当然勝ち上がるためには練習量が多く必要になります
○動き回るのしんどい
前陣で…特にフォア側で積極的に攻撃するカットマンも流行りですが、
結局普通の人より後陣でプレイする訳ですから、
前後に揺さぶられます
カバーせなならん領域が非常に広いです
デフォルトで求められる足腰の強さもなかなかのもの
○身長無いとつらい
個人的なことですが 身長が170まで達してません…
プラでやたらやりやすくなったストップ
止まりすぎて、ホントにネット際に落とされると、
いくら踏み込んでも横から回り込まなければ届かない領域があります。笑
下がってる時にストップにすぐ反応できても、届かない時の無力感よ
中2ぐらいから身長が変わっておらず、
当初もうちょい伸びる予定やったんですが、ここは誤算でした
カットマンで身長の伸び代がまだ残されてる皆さん、夜更かしせず寝ましょう
○サンドバッグにされる時のボコされ方が卓球辞めたくなるレベル
卓球の試合展開は超単純化すると3種類あります
・ボコす/ボコされる
・ややボコ
・シーソーゲーム
カットマンはしっかりラリーをして勝つ戦型なので、
相手をボコす
一方的な試合展開になることは、よっぽど実力差がない限りありません
しかしボコされることは、全てを記憶にとどめていられない程あります
そこそこ勝てるようになるまでに、
何度カットマンの存在意義を自問自答することになることか…
カットマンは"圧倒的敗北の向こう側"が見える人
または妄想できる人にしか続けられません
そのため、負けてもオイシイと思えるドMか
自分にドSな人
要は 人間としての根っこに何かイチモツを持ってる人こそ
カットマンに向いていると言えましょう
さて、以上のようにデメリットの一例を挙げてみましたが、
"競技"として卓球をする以上、
"より多く勝つこと" が主目的になるはずの中、
敢えて、よりしんどいカットマンを選ぶということは…
合理的思考を超越した
非常にアホな選択である
※私はカットマンです
ということを まずは自分自身認め、覚悟しなければなりません
しかし、戦型選択の段階で非合理的な選択をしたにも関わらず、
卓球を組み立てる上では
なんかやたらと合理的な選択をし続けないといけない 矛盾
カットマンを続けることは 常に自己矛盾を内包します
しかも人より多く練習しても、勝てるとは限らない
じゃあ、なぜカットマンをやるのか?
やりたいだけ
究極的にはコレしかないでしょう
多分性懲りもなくカットマンやり続けてる人は、
卓球人生をリセットしても両ハンドドライブ型を選ぶことはなく、
より最短距離でカットマンとして登り詰め、
さらに伸びる余地を模索することを選択することでしょう
カットマンとは
勝利への欲求を満たすことも大事なことなのに
自己実現欲求を 上位に置いて満たしたがってしまう
そんな癖の持ち主の 集いなのだと 思うのです
脳汁出るプレイがしたい
なんか何でもできる感じのプレイがしたい
術中にハメてドヤァってしたい
相手の渾身のフォアクロスドライブをナックルカットでストレートに返球して
浮いてきた球をペチーンして
「え?普通ですけど…?」みたいな平静を装った顔をしたい
打たれるの分かっててもループを打たざるを得なくなった相手が
打たれないようにお祈りしながらループを打ってきて
それをしっかり待ってカウンターでペチーンして
「あ~ また打たれた…」みたいな表情してるのを確認しながら
「え?そりゃ打ちますけど…?」みたいな平静を装った顔をしたい
めちゃくちゃ粘り倒して、回転が訳わからんようになってきたところで、
相手もよく分からんからループしてきたところで、
思いっきりブチ切って
「いやいやいやかかり過ぎやろ」って反応を確認しながら
ニヤニヤしたい
カットマンよ アホであれ
高校から大学にあがっても卓球を続ける人
社会人になっても卓球を続ける人
カットマンが卓球を続けてる割合は、
周りを見渡しても非常に高いように思います
やっぱり自分のやりたいことが出来るようになるまで時間がかかるから、
全くやりきって無い感を持つタイプ(自分) や、
カットマンであるからこそ卓球好きなタイプ が多いように思えます
嗚呼 カットマン
合理性の向こう側の カットマン
最近 ペンドラの人も似てると思ってきました。笑
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