所属している合唱団、今年の夏過ぎから練習冒頭の発声練習(いや、ウオーミングアップかな?)の一環で、シューマンの『流浪の民』を歌っている。

 

ところで、この曲に限らないのだが、アルトパートには「歌詞が書かれていない」ことが多々ある。

最上段のソプラノには、メロディの下に歌詞が書かれているのだが、アルトの下にはない。つまり、アルトは音符と歌詞の上下が逆になっているわけで、非常に歌いにくい。

 

…ということで、今回もメロディの下に手書きすることにした。

たかだか10ページ程度の楽譜なので、そう手間ではない。

 

…と思って取り掛かったのだが、「Im Schatten des Waldes,im Buchengezweig」と書いたところでもう、「ああ、面倒くさい」と投げ出したくなってしまったのである。

たった2小節分、書いただけで。

 

書くことが面倒くさい、本当にそう思った自分に愕然とした。

私はずっと「文字を書くことが大好き」な人だったのに。

特に歌詞の場合、旋律を確認しながら書くわけで、時々歌ってみたりしながら倍楽しめる。若いころに歌ったマタイ受難曲やヨハネ受難曲など、楽譜の余白に日本語の訳まで手書きしてある。1時間も2時間もかかる大曲なのにも関わらず。

 

考えてみれば、文字を書く機会はめっきり減った。1日中、1文字も書かない日だってある。そんな毎日を過ごすうちに、「字が書けなくなる」。その以前に「字が書きたくなくなる」なんて、これは致命的ではないか。

 

ウィキによると『流浪の民』は、ナイル川のほとりからスペインをへてヨーロッパの街々をさすらうロマ(ジプシー)の生活を歌ったものとなっている。

その詩を書き写すのが面倒くさいなどといったら、ロマはあきれかえるだろう。そして「今の人たちは、何ておバカになったのだろう」と嘲笑するに違いない。

 

 

 

 

 

 

いにしえの 月夜にたゆたう 風の音

鞠子

 

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