昨日、久しぶりに合唱団の練習に参加した。
実はこの間、しばらく練習を休んでいた。
団自体の夏休みも含めて、ほぼ2か月休。この間にあった恒例の夏合宿も、今年は行かなかった。
その理由は幾つもあるのだが、あえて順位をつけるとすれば、1位は心身ともの不調。高すぎる気温のせいか、加齢のせいか分からないが、何もかもしんどくて「歌おう!」「行こう!」という気にならなかった。
合唱団の練習だけでなく、もう何十年も習慣になっていた「朝、洗い物をしながら発声練習する」もやらないようになってしまった。
発声練習といっても、「イーエーアーエーウー」ではない。Salvatore MarchesiのAppoggiatura ed AcciaccaturaとScala minoreをごく軽く歌うことで、今日ののどの調子を確認する程度のことなのだが、曲自体が好きなこともあり、飽きもせず毎朝歌っていた。ところが、この夏、それすらやる気をなくし、怠っていた。
で、久しぶりの合唱団復帰を前に、1週間ほど前、取りあえず歌ってみたのだが、これが大衝撃。
ある一定の高さの音が「かすれる」のである。
出ない音域を無理して出してかすれるのとは全然違う。自分のテリトリー内のある高さだけ「かすれて出ない」のだ。
科学的に正しいかどうかは分からないが、その音を出す部分の筋肉が衰えている、という実感がありありだった。
長年の歌生活で学んでいるので、もちろん、こういうときに無理して出ない音を必死に出したりはしない。それをしてえらい目に遭ったことが何度もある。こういうときは、出てるものと思って、出たつもりで少しずつ練習を積み重ねていくしかない。
…そんなこんなで、久しぶりの合唱団練習、約2時間。
シューマンの初見の曲なんか登場して、緊張感大。最後は久しぶりのヨハネ受難曲だったが、出ない音にこだわって力を入れないよう、ゆるめて練習した。
練習終了後、先生に「鞠子さん、体調はよくなりましたか」と尋ねられた。
夏場、しんどかったことを話したら、先生は笑いながら言い放った。
「鞠子さんの調子が悪い原因は、Bachを歌ってないからだよ」
うわ、いろんな意味で図星かもなあ。
そうかあ、原因はそれか。
毎日の練習を怠り、のどの筋肉を衰えさせたことで、ますます不調度が増す。
それもアリかもしれないな。
まあ、先生の意図は、練習にも合宿にも来なかった私への若干のイヤミ以外の何でもないだろうけど。
日々、積み重ねる。
積み重ねてこそ、意義がある。
そういえば 泳いでいるのも 歌のため
鞠子