読売新聞が公設秘書給与不正受給の件で、疑われた維新の議員を間違えた。

それより前、石破首相の退陣に関しても間違えた。

どちらも確かに間違った情報が、紙面にデカデカと出ていた。おまけに、センセーショナルな見出しまでついていた。

 

こんな大事なことをなぜ間違えるんだろう。

後日、間違いに至った検証記事も出ていたが、「そうか、それなら仕方ないな」とは思えなかった。

 

大スクープを他社より早く、という新聞の特性は昔も今も変わってないだろうと思う。

だが、それ以前に、新聞記者の記者としての能力が低下しているのではないか。

もっと言ったら、書くことを仕事にしている人全般に。

さらに言ったら、人間全員が。

 

フェイクニュースがどうのこうのというその前に、ネット上に流れるニュースの誤字脱字、てにおはの間違いはかなり多い。それも、信じがたい間違いのときもある。

新聞紙面でも、どう見ても変な文がときどきある。

こういうの、かつてはなかった気がする。

私の「間違いを見つける能力が向上した」のならいいんだけど、それは絶対ありえない。

 

物事を正確に伝えるというのは、並大抵のことじゃないけど、でもその努力はしないとますます質は低下する。

これは新聞業界も話だけではない。私自身、怖くてならない。

 

 

 

 

 

 

謝れば 済むか済まぬか ドロ沼か

鞠子

 

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