ついこの前まで、『謎解き診療室、本日も異状あり』という文庫本を読んでいた。

5人の現役医師作家が書いた医療ミステリー。

実際の医療現場であったことがベースになっているのだろうと思う。事件自体がどれもいかにも今どきっぽい。すごく面白くて、ページがどんどん進んだ。

だけど、その一方で、ときどき違和感が……

 

例えば、歯科クリニックを舞台に描かれた作品。

今や、コンビニの数より多い歯科医院だが、このクリニックはそこそこうまくいっている。やさしそうな歯科医師と気立てのよい女性スタッフ。

作品は、この歯科医が語り手となって進んでいく。

ところが、1件の歯型鑑定依頼書が渡されたことで状況が一変する。

歯科医は依頼書を見て凍りつく。そこに載っている歯型は、かつて歯科医が「殺してしまった男」のものだったからだ。

 

歯科医は殺人を犯していた…と知ったとき、私はとっても違和感があった。

これまで、この歯科医には殺人者の片りんはみじんもなかったのだ。優しくて、患者思いで、でも時々経営面で心配して、といったごく普通の人で、人を殺してしまった傷などつゆほども感じられなかった。

へえ、なんて意外、と思うより、正直な感想、取ってつけた感満載だった。もしかして、途中で路線変更して歯科医を犯人にしたのかも、とまで思ってしまった。

 

その上、いい感じの女性スタッフも、実は、歯科医のかつての殺人に絡んで被害を受けた人の一人だった。

これが分かったときも同様に、取ってつけた感、途中で路線変更を想像した。

 

ところで……

この文庫を読んだ後、『十一郎会事件―梅崎春生ミステリ短篇集』に手をつけた。

梅崎春生といえば、コロナ禍、この作家の作品がおすすめだと文学講座の先生が教えてくれた大正生まれの作家。それまで私は名前も知らない作家だったが、戦争体験を基に人間心理を追求した作品を幾つか読み、かなり衝撃を受けた。

で、この梅崎春生が書いたミステリー作品とはこれいかに、なのだが、生意気を重々承知で言うと、さきほどの『謎解き……』とはレベルが違うと思った。

 

時代背景が違うから、情景は確かに古臭い。おまけに、派手なアクションも、奇想天外な謎解きもない。

ミステリーと言いながら、ドラマチックな展開は何もない。いわくありげな会社に勤めてます、私はお金に困ってます、金庫にあるお金はウラがあるお金に違いなく、盗んだところで社長は公にはしなさそうです、それを同僚の老人に酔った勢いで話しました、老人も金に困っており、それを盗みました、私はそのシーンを見ました。例えばそれだけの内容なのである。

その会社は一体何屋さんなのか、全く書かれていないし、その後、主人公や同僚の老人がどうなったのかも触れられていない。だが、出てくる登場人物「私」「同僚の老人」「会社の社長」そして「女事務員」の心の闇が、ありありと手に取るように伝わってくるのである。実際にお金を盗むシーンなど、私は主人公と同じ目線で見ていた。事後の主人公の胸の痛みも同様に味わった。

私は戦争を知らない世代だが、戦後の荒廃の中、人の生活も人の心もどんなにすさんでいたか、「分からせる筆力」をもって書かれている。

 

先出の文学講座の先生に出会ってから、最近の作家の作品はほとんどといっていいほど読まなくなった。

『謎解き……』のような新しい作品は、本当に久しぶりに読んだ気がする。

やっぱり、明治・大正・昭和初期あたりの作家の作品は、重量感が全然違う。そして私は、読むならやっぱりこちらのほうがいいと改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

心中の 闇ほど怖い ものはない

鞠子

 

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