今朝、テレビで国会議員にまつわるあれこれを紹介していた。

私はキッチンにいて、音声を背中で聞いていただけなのだが、国会で一般質問する若手議員がその前に原稿を党内の先輩に見せてアドバイスを乞う、みたくなシーンだったと思う。

質問できる時間は10分か15分か。

原稿を読んだ先輩議員は、「自分自身のことを交えて書くのはいいが、その比重がちょっと大きすぎるのでは」などと指摘していた。

 

党の方針に沿いながらも自分の考えを入れ、自分らしさを出し、かつ人に響くような原稿を作成するのはそうそう簡単なことじゃないはずだ。

調べ、考え、まとめ、何度も書き直したり追加訂正したりして仕上げたに違いない。

いろいろいっても、やっぱり意思疎通は「言葉」。

自分の心中を言葉でどう表し、それらの言葉をどう紡ぎ、どんな声で、どんな声量で、どんな息継ぎで話すか。結局、そんなアナログの力にかかっているんだ。

 

…と、むしろちょっぴりほっとした思いにかられたが、次の瞬間、いや、待てよと思った。

この若手議員、もしかしたら、最初の原稿はAIに書かせたのではないか、と。

それを基に、手を加えたのではないか、と。

 

職場でそんな話をしたら、オトコ後輩が「客様O氏が、『AIに文章を書かせるようになると、自分自身の書く力は確かに衰える。だが、AIに書かせた文章を推敲する力はつく』と言っていた」と言い出した。

 

そうか?

文章を推敲する力がつくか?

 

私は「つかない」と思う。

推敲というのは、書く力、読む力、聞く力があってこそできることだと思うから。

書くことをAI任せにしてしまったら、書く力は間違いなく衰える。

そもそも、書くという行為そのものが、面倒になる。

書く力がないのに、読む力と聞く力は抜群という状態を、私は想像できない。

かつ、それらの力は、意識しないとどんどん衰える。そして、決して一長一短では身につかない。

 

議員となれば、事前に準備できる一般質問はむしろ仕事のほんの一部であり、日ごろはもっともっとその場の対応、臨機応変な対応が問われるはずだ。

そんなとき、いちいちAIに答えてもらうなんてできないではないか。

 

…いや、実はもうできちゃうのかもしれない。

もう議員全員、アンドロイドでもOK、とか。

 

書けなくたって読めなくたって、聞けなくたって、さしあたって別に困りはしないし。

でも、そんなんじゃあ近い将来とんでもないことになってしまうのではないかという気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

墨文字の 流れに見とれ 息を吐く

鞠子

 

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