アーミテージ元米国国務副長官に関する読売新聞の記事を読んでいたら、このような一説があった。
「戦略があるかどうかすら疑わしいトランプ氏を批判するのは建設的ではないと考え直した」
アーミテージ氏は、トランプ大統領が同盟国を不当に扱い、日本など各地域を理解する専門家が政権内に不足していることを懸念していたが、だからトランプ氏を非難するのではなく、日本が国際的なリーダーシップを発揮するよう激励することに主眼を置くことにした、というのだ。
つまり、アーミテージ氏のほうが、考え方を変えた、と。
定年退職した身の私がいまさらこんなことに気づいても遅いが、現役時代、このアーミテージ氏のようには考えられたら、ずいぶん状況は変わっていたのではないかと思う。と同時に、そんなふうに自分を変えることは決してできなかっただろうな、とも。
特に上司に対してがそうだった。
どうしても譲れない、というか譲ってはいけない理念。上司は、そういう理念を持ち合わせていなかった。だから、場当たり的な対処で要領よく仕事をこなすことができ、表面的には「迅速に仕事ができる人」として一定数の評価を得ていた。
私は、許せなかった。
その不快さから逃れるために、私は上司と最低限の関わりしか持たず、基本的には「視界外に置く」、つまり無視してやり過ごしてきた。
だけど、これは究極、自分のことしか考えていない。
決して、建設的ではない。
アーミテージ氏の場合、国対国、あるいは世界を視野に入れた発言なわけで、私の場合など問題にならないほど些細なことだが、それでもこの記事、胸に刺さった。
今さら後悔してもどうしようもないが。
白と言う 一皮めくれば 黒なのに
鞠子