ランチをしに寄ったお店の入り口で、店内から出てきたお客さんと行き当たった。
ギョッとした。
がっちりした体格の丸坊主の男性だったのだが、上半身が透けるトップスにミニスカート、ひざ下までのストッキングをはき、ヒールのついた白いサンダルを履いていたのである。
今や、男だからこういう服装、女だからこういう服装といった決まりはない。
私くらいの年代の人間は、男らしさ、女らしさという固定概念の中で生きてきたが、今や全然こだわりはない。男らしさとか女らしさとか、もはや古臭い。
…と思っていた。
私自身は、年齢の割に、そのテのことに相当さばけている方だと自認していた。
だが、こうして現実に直面すると、ギョッとする。無意識のうちに、避ける方向にからだが動いた。
ということは、結局、物わかりがいいようにふるまっているだけで、実は心の奥底では認めていないということだ。
今日会った男性以外にも、「女性の服装」をして出歩いている人に時々出会う。
一人は出勤時。
自転車に乗っている「彼」は、やっぱりミニスカートにハイヒールを履いている。
それからもう一人は、長距離散歩をしているときに、時々見かける。
その「彼」も同じような格好をしているのだが、頭にキャラクターのかぶり物をしている。
そして、この二人も、今日会った人も、共通しているのは、「かなり年配」であり、かつ透ける素材の服を身に着けていて、上下ともども全身、女性用の下着が透けて見えるということ。
それが厳密には犯罪行為に当たるのかどうかは分からないが、そもそも、露出目的には見えない。ちょっとセクシーな服を着てみたい女性、そんなふうに見える。
でもやっぱり、本音は色眼鏡で見ている。
ジェンダーレスと言葉でいうのは簡単だが、少なくとも私はニセモノだ。
例えば、職場にそういう人が入社してくることだって大いにありうる。
心の底から差別感情をなくすことなんて、できる気がしない。
差別感情を持ったまま、理解あるふうを装う偽善者に、自己嫌悪の日々を過ごすことになるだろうなと思う。
目の前に 偽善者現る 梅雨の午後
鞠子