「米を買ったことがない」、それでも「米は家に売るほどある」とついウケ狙い(←ご本人曰く)で言ってしまったことで、大臣が変わった農水省。

それを機に備蓄米がスピード放出され、近いうちに安い値段で市場に出回るらしい。

 

でもなあ、「やった!」とは、正直、手放しで喜べんな。

とりあえずは助かるかもしれないが、長い目で見たらどうなのか。これで抜本的な解決ができるのだろうか。

提示された量を購入できない販売店はどうなるのか。その前に、農家は大丈夫なのか。備蓄米をそんなに出しちゃって、今年、トンデモな天候が続いて米がとれなかったらどうするのか。なくなった備蓄米は、どうやって補充するのか。補充にどのくらいかかるのか。etc.etc. ドシロートが考えても、なんか不安だらけだ。

 

仕事柄、こういった社会的な問題に触れる機会が結構ある。ダブルワークを始めてから、それもさらに増えた。

教員が足りない。学校がブラック職場になっている。保育士も足りない。介護スタッフも足りない。産科医がいない地域がある。自治会役員の成り手がない。消防団員も足りない。町村議員への立候補者がいない。空き家の増加。それも、壊れそうな空き家多数。ごみ処理場が造れない。ごみが処理しきれない。貴重な遺物の保管スペースが足りない。温暖化が加速している。天候がゲリラ化している。AIが悪用されている。ややこしすぎて年金の仕組みが訳が分からない。放置された農地が荒れ放題。観光客が来すぎて生活に支障をきたしている。赤字のため唯一の鉄道が廃線となる。etc.etc. とにかく、問題がそれこそヤマのように積み重なっている。

そしてこれら、納得できる解決方法が全然見つからないのだ。

ドシロートの私が見つけられないのではない。例えば有識者、例えば政治家といったリーダーシップを取る位置にある人の意見を聞いたり読んだりしても、全然「そうだ、その方法だ!」と思えないのである。

コメ問題同様。

 

結局、全方面丸く収まる解決方法などないのだ。社会的な問題全て、といっても決して大袈裟じゃないくらい全部が全部。

 

問題は、何一つ解決しない。

今、生まれる子たちが大人になるころは、いったいどんな世界になっているのか。

本音を言うと、全然明るい希望が持てない。

きっと、私が死ぬ時までくらいは何とかもつ。私の年代は、そうして逃げ切る。

いや、それも怪しいかもしれない。

 

諦め感ばかり増大する今日このごろ。

 

 

 

 

 

 

備蓄米 も少し経てば エサとなる

鞠子

 

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