58歳の若さで亡くなった作家・山本文緒さん。
お酒もたばこもやらず、健康診断もきちんと受けていたのに、すい臓がんが発覚したときにはもはやステージ4b。抗がん剤で進行を遅らせるしか手がない状態だった。
この本は、山本さんが、亡くなるまでつづった日記。
こういう本の内容は、例えば生への強烈な執着とか、死への恐怖とか。
そう思って手にしたのだが、実際は全然違っていた。
生から死に至るまでには、何か大きな出来事があるわけではないと妙に納得したのである。
生と死はつながっている。考えてみれば当たり前なんだけど。
ステージ4bすい臓がんであっても、日によって体調は大きく違う。髪が抜けていることを除けば、健康なときと全く同じ状態のときもある。かと思えば、突然強烈な寒気が襲ったり、けいれんに見舞われたり。
そんな乱高下を繰り返しつつ、着実に死に向かっていく。
山本さんは作家だから、幾らでも着飾って書けると思うのだが、『無人島のふたり』はとてもたんたんと記されている。
もちろん、ここに書ききれない苦痛や苦悩もあったと思うが、それを隠して書いているとは思えない、言い方は悪いがすがすがしさのようなものさえ感じた。
こういうふうに逝けるなら、ガンもいいかもしれない、と、不謹慎なことさえ考えてしまった。
抗がん剤治療は地獄で、決してやらないという決断は強固だった。
私ならどうだろうか。
そこまでガツンと決断できるだろうか。
だが、文面からは、決断をちらとでも後悔するような部分は読み取れなかった。それくらい、抗がん剤治療は過酷だったのだろうと思うが、それはすなわち死を意味する。
あと、山本さんご夫婦は、お金の心配がなさそうなのがこういう死の迎え方の前提になっているかな、と。
こんな逝き方ならいいかもとさっき言ったが、その場になったらまた考えも変わるだろうな。
できうるなら私は、「知らない間に死ぬ」とか「即死」がいいなと思うが。
いずれにしても、万人に平等にそのときはやってくる。
生まれたら 死ぬのは定め いつの日も
鞠子