京アニ放火殺人事件の青葉真司被告が死刑判決を受けた。
一旦控訴したものの、被告本人がその控訴を取り下げたという。弁護側は、控訴取り下げを無効だと裁判所に申し立てたそうだが。
「死刑」という言葉を聞いて、とっさに青葉被告の治療に当たった医師たちを思った。
瀕死のやけどを負った被告を治療するに当たり、「何でそんなやつを助けるんだ」旨の非難も相当あったと聞いた。医師自身の葛藤も、十分想像できる。だが、医師は「命を救う」ことが使命だ。必死の努力で治療したに違いない。
やけどの治療は地獄の激痛だとも聞いたことがある。
被告自身、その苦しみを味わって今がある。
それなのに、死刑。
助けた医師も、苦痛に耐えた本人も、そうしてまで守った命が断裁される。
本人は自分の意思だが、医師は一体どんな思いだろうか。
この事件で命を落とした人たち、その親族は、到底青葉被告を許すことはできないだろう。
だが、彼が死刑になろうと、もっと言ったら、治療してもその甲斐なく亡くなっていたとしたらどうか。せいせいするだろうか。
多分、違う。
犯人が死のうが生きようが、かけがえのない人は痛み、苦しみ、去ってしまった。そして、決して戻ってこない。
その思い、察するに余りある。
だが、その一方で、命を救った医師の思いも想像に難くない。
私は無責任な第三者だが、この事件に関わる誰を思っても、全くやりきれない。
運命と 割り切れるなら 救われる
鞠子