門賀美央子さんの書いた『死に方がわからない』という本を読んだ。
帯にあった「ひとりっ子、親なし、配偶者なし、親戚きょうだい疎遠、必読!」という言葉に魅かれた。
読み進めるうちに、これはしまったな、と思った。
門賀さんと私は状況こそ似ているが、死に関して前提が全く違っていたからだ。
門賀さんは、死んだあと、なかなか発見されないこと、腐って見つかることを絶対に避けたい、それを避けるために今どうするかを考えていた。
つまり、「立つ鳥跡を濁さず」が目標なのだ。
私は違う。
死んだあと、なかなか発見されなくても、腐っていても白骨化していても、全然構わないと思っている。
私の目標は、ひたすら「死に至るまでの苦痛ゼロ」だ。
ま、しかし、読み終わってますます暗澹たる気分になった。
前からうすうす気づいていたが、人は1人では死ねない。係累ゼロならゼロなりに、他人に迷惑をかける。
ノラネコさんのように、誰も知らないところでひっそり死に、誰にも死骸を見られないなどということは無理なのだ。
門賀さんは、死後、人にかける迷惑を可能な限り減らすべく、やれることをやり切ったようだが、それでもゼロにはならない。
私は、門賀さんのやったことを考えるだけで、もはやもうめっちゃ面倒。
究極の自分勝手で、人に迷惑をかけまくりそうだ。
いつか来る 今日も明日も 見えぬ日が
鞠子