昨年末、スズキの元会長・鈴木修氏が亡くなった。
鈴木氏の経営については、生前からいろいろ聞いたり読んだりしていたが、コストダウンのために「ならば、エンジンを取ってしまえ」と技術チームにはっぱをかけた話は知らなかった。
技術チーム、それまでも懸命に研究し、努力し、知恵も汗も出したのだろう。それでも、これ以上、どうしてもコストが下がらない。途方に暮れているところに「ならば、エンジンを取ってしまえ」、とは。チームメンバーの苦い顔々が目に浮かぶようだ。
車からエンジンを取ったら、走らない。つまり、車ではなくなる。それでも「エンジンを取ってしまえ」とは、普通の人なら考えつかない一言だ。
そう、普通の人なら。
私は、周りはほぼ全員「経営者」の中で仕事をしてきた。
大勢の経営者と関わり、経営を聞き、会社を見る毎日を過ごしてきた。
そんな中、経営者として光る人は、おしなべてみんな「普通じゃない人」だった気がする。
病的なほどのこだわり、とか、自社商品への半端ない愛情、とか。どう考えても、よき夫、よき父としては失格、というか。
ある意味、芸術家と一緒かもしれない。
普通の生活など、基本的にあり得ない、そんな感じ。
だけど、社員は「この人の言うことなら、なぜか聞いてしまう」みたくな魅力がある。
困った人なんだけど、面白い経営者。
だけどなあ、一方で年々そういう「普通じゃない経営者」が、私の周りから減ってきた。
自分の力で自分一人で勝負している単独才覚型の人が多くなってきた。
そんなことも後押しして、定年後、再雇用されたこの職場がつまらなくなってきているのも事実なのだ。
エンジンの 代わりに人を 走らせよ
鞠子