そんなにひどくない(←とかかりつけの眼科医は言う)近視の私は、老眼年齢になって、実はラッキーしているかもしれない。
老眼年齢になると、近場を見る際、老眼鏡をかける。
だが、私の場合、今まで通り、遠くを見る際はメガネをかけ、手元は裸眼ではっきり見える。ただ、老眼年齢となり、メガネをかけたままでは手元がよく見えなくなった。必然的に、コンタクトレンズは使いづらくなり、定年退職とともに放棄した。
この状態で、この1、2年は何の問題もなかったのだ。
ところが最近、微妙に不具合を感じ出した。
遠くと手元は今までどおりでよい。だが、遠くと手元の中間が、よく見えなくなってきたのだ。
この距離感、言葉で表すのはなかなか難しいが、今、一番不具合を感じるのは、職場で若手にパソコン操作を教えるとき。
彼がパソコンに向かう。その後ろに座る、あるいは立つかして、いろいろ指示を出す。そのとき、裸眼でもメガネをかけても物足りない。結局、メガネをかけたら顔を遠ざけ、裸眼になったら顔を近づけるという動作を繰り返さなければならない。
人が見たら、あの人、何やってんだ、と思われるような動作。
これが全く情けない。
今、ピアノを弾く時は裸眼。鍵盤も立てかけた楽譜も、ちょうどよく見えている。
だが、もう少ししたら、これも不具合が出てくるに違いない。
鍵盤は裸眼、楽譜はメガネ。あるいはその逆で、鍵盤はメガネ、楽譜は裸眼。
改めて「老眼」を考える。
奥が深い。
そして、微妙。
人の顔 自分の顔も 霧の中
鞠子