長距離散歩を兼ねて母の納骨堂にお参りに行く途中、ちょっと遠回りしたところに高校の同級生の自宅がある。
自宅、というか酒屋さん。
彼が高校生の時、御両親が経営していたのだろうと思う。レンガをあしらったおされな造りで、ワインのボトルがいっぱい並んでいた。当時、町なかにあった酒屋さんと比べて数段、洒落てリッチな感じだった。
その店の前を通ると、たいてい彼がいる。
もう店舗としてはやっていないみたいだ。
店内は荒れに荒れ、物置場のようになっており、そのガラクタの真ん中に彼は座ってぼんやりテレビを見ていることが多い。
この風景を見るたび、私は悲しくて仕方がなくなる。
高校時代の彼は、とても整った顔立ちの好青年だった。
今も、その面影はある。だが、生気が全然感じられない。全てを引退したおじいさん、といった風情になってしまっている。
高校時代の同級生の中には、つい最近、大手銀行の頭取になった人がいる。公立病院の院長もいる。そして、政治家も。
もちろん、そういう人は目立つから知っているだけだが、それにしても、酒屋の彼とは差があり過ぎる。
あのころ、横一線だったのに。
いや、酒屋の彼だって、十分幸せなんだろう。
頭取の彼より、幸せかもしれない。
そう思おう。
思わなければやってられない。
幸せの 尺度は自分 だけのもの
鞠子