「認知症になったらどうしよう」としきりに心配しているトモがいる。
私は、その危惧、ほとんど持ち合わせていなかった。
認知症になって迷惑行為をしまくったとしても、私自身は分からないわけだし、それこそ「誰かが何とかしてくれる」とタカをくくっていた。
晩年、母も認知症を患ったが、皮肉なことに、わけが分からなくなってから穏やかになり、幸せそうな顔をするようになった(←対する私は切なかったが)。
だが、昨日、歯科で治療中、ふと別の考えが頭をもたげた。
今、歯が痛くなったら、即治療してもらっている。
歯の痛みは強烈で、なかなか耐えられるものではない。
だけど、もし認知症になって、歯が痛いという事実だけしか分からなくなったとしたら。
虫歯を治療しなければその痛みは治まらないことが分からず、歯科医を「自分に危害を加える悪い他人」としか認識できなくなったら。
そうして、暴れ、歯科医にかみついたりして、歯科医が治療を放棄したら。
私は、わけが分からないまま死ぬまで強烈な歯の痛みを抱えなければならないということだ。
もちろん、歯だけではない。
治そうとしてくれる人全員、敵だと思ってしまう可能性、大アリではないか。
それは絶対イヤやな。
そういう認知症にはなりたくない。
あと、まだら状態もイヤや。
迷惑行為をした後でまともに返り、今、自分がやったことと向き合わなければならなくなったら。
診察台で横になり、孫みたいな若い先生に向って口を開けながら、やっぱり私は「即死で逝きたい」と漠然と考えた。
そんなこと 願ったところで 叶わない
鞠子