仕事関係の元客様が亡くなった。
お顔がうんと小さくなっていたという。おそらくお顔だけでなく、身体全体が、お元気でいらしたころより小さくなっていたのだろうと思う。
でも、昨年、亡くなった身内は、元気だったころと全く変わっていなかった。
亡くなった理由は、元客様も身内も、同種の病だったんだけど。
なぜ、こんなに違うのか。
元客様のことは分からないが、身内は、亡くなる数年前から相当耳が遠くなっていた。
最初は、そのことで不自由もいろいろあったとは思うが、おそらく身内は聞こえない状態に「慣れていった」のではないだろうかと思う。
そして、精神的には楽になっていたのではないか、と。
だから、元気なころと同じ姿で亡くなることができたのではないか。
私自身、定年退職と同時に、コンタクトレンズを放棄した。
それほどひどい近眼でもないため、家の中だけでなく、知っている場所なら裸眼で行動できる。
とはいえ、レンズを装着していたときより格段に遠くは見えていないわけで、最初は相当物足りなかった。
だが、今はこの状態にすっかり慣れてしまった。
相手の細かい表情の変化などは、はっきり言って見えていない。
床に落ちているゴミも、今一つ見えていない。
なので逆に、気が楽になった気がするのだ。
耳も目も、老いれば鈍る。
その不自由さをある程度通り越したら、本人にはプラスに働く。
それも「老い」の一つの特徴か、と。
楽観的に過ぎるだろうか。
鏡見る 己の顔すら 闇の中
鞠子