今、気の重いイベントを抱えている。

多くの人は、「そんな楽しいことを。うらやましいわ」と言うだろうが、私は正直、気が重くて仕方がない。

初めから、どうも乗り気になれなかったのだが、断る理由が見つからなかった。

その優柔不断さが、今、自分の首を絞めている。

 

なぜ気が重いかというと、このところ、毎日のルーチンが変わることに大きなストレスを感じるのだ。

毎日、同じことを、同じように、滞りなく過ごしたい。

ハレもケも、非日常は疲れる。そして、体調を崩すだろうと思えてならないのだ。

つまり、「悪い予感がぬぐえない」。

とにかく、身体的につらい目をするのが、嫌でたまらない。

 

子供みたいだけど、そのイベント、軽い天変地異かなんかで中止にならないだろうか、とまで考えてしまっている。

 

そんなに気が重いのなら、適当な理由をくっつけて、今からキャンセルすればいのに、その勇気もない。

適当な理由、とは、つまり、ウソをつくことになるわけで、それも同じくらい気が重い。

 

そんなこんなであれこれ考えて、気が重い毎日。

たまたま目にした読み物に「不確実」という言葉が書かれていた。

誰かの相談に有識者が答えるという読み物だったのだが、その回答者が「人生は不確実なんだから、考えても仕方がない。やってみて、その都度、最良の方法で対応すればよい」旨の回答をしていたのである。

 

人生は不確実。

そんなこと、分かっている。当たり前のことで、わざわざ言われるほどのことではない。

一瞬、そう思ったが、次の瞬間、「ところで私は、それ、本当に分かっているか」と思ったのである。

 

体調を崩すだろう。疲れるだろう。うまくいかないだろう。

そんなこと、いくら考えたところで、やってみなければ分からないではないか。

 

だがしかし、だからといって、気が晴れたわけではない。

気が重いことは変わりない、

ただ、そのことについては、もう考えるのはやめよう、という気にはなった。

粛々とことに当たろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

昨日も 今日も明日も 同様に

鞠子