仕事用で銀行に行ったら、おじいさんがカウンター越しに行員さんと何やらややこしい話をしていた。
聞くともなく聞いていたら、そのおじいさんの希望は「普通預金に硬貨を入金すること」であり、それも「数十円」か「数円」みたくなのだ。
確かにいまや、ATMでは硬貨入金できないから仕方がないのだが、そんなことより数十円か数円を普通預金に預け入れること自体がオドロキだった。
窓口で入金する場合、預け入れ票を記入しなければならない。
おじいさんは行員の言うように書いていたが、ここでも記入間違いをしたらしく、行員は後ろの棚から新たな用紙を出していた。
キャッシュレス決済が増えてきて硬貨の取扱いが面倒なことになってきた上に、硬貨を大量に持ってきて入金されると銀行側はとても手間がかかる、ということは理解していたが、このおじいさんのように逆パターンもあることに初めて気がついた。
少額の硬貨を入金するということは、大量の硬貨を入金するのと本質的には「同じ手間」、そして「同じコスト」がかかるのだ。
これ、近い将来、硬貨の扱いは量の多少にかかわらず、「全て手数料がかかる」というふうになってしまうのではないだろうか。
となると、現金商売のところや神社のお賽銭など、困ったことになる。
お金を払ってモノやサービスを買うという大原則。
そのお金自そのもの、これからどうなっていくのだろう。
もうついていけない感、ますます満載になってきた。
10円を にぎりしめつつ 道急ぐ
鞠子