記念すべき(?)第100回の芥川賞を受賞した李良枝『由熙』。
当時、この本の表紙の絵がすごく気になったものの読む機会もなく今に至ったのだが、この本を取り上げた小さな囲み記事を見て、いまさらながら読んでみることにした。
著者は、その名前からも想像できるとおり、在日韓国人。
そして、『由熙―ユヒ』では、ご自身の体験がベースになっているのかどうか、「韓国に留学に来た在日韓国人女子学生・由熙」と、彼女が下宿する家の持ち主と姪との交流が描き出される。
ルーツとか言語とか。
特に、韓国と日本であるがため、複雑な諸々が潜んでいると思う。
だが、日本に住んでいた由熙が、韓国に留学し、そこで「韓国の文化や韓国語に苦しみすら感じる」という複雑な心持は、私には想像することすら難しい。
そして、彼女を下宿人として受け入れた2人が、由熙が外国人留学生枠で韓国の名門大学に入ってきたこと、日本語の本が手放せないこと、韓国の悪いところを口にすること等々にどうしようもないいらだちを感じるあたりも同様。
大学を卒業するまで耐えられなかった由熙は中退して日本に帰ってしまうのだが、2人にとってその喪失感は計り知れないほどだった。
「しょせん他人の下宿人」にすぎない由熙に、まるで肉親のような愛憎の感情を持つところがますます理解できない。
これこそが、「民族の違い」ということなのかもしれない。
私としては「理屈ではわかるが、想像できない」というのが正直な感想だった。
その「理屈ではわかる」すら、軽々しく言ってはいけないことだと突きつけられた、とも思った。
しぬまでに いくつわかるか わからぬか
鞠子