通勤途上にあるローソンの前に、大きな円柱型の灰皿が置いてある。
いわゆる青空喫煙所。
毎朝、そこでいつも5、6人の中年男性がたばこを吸って談笑している。
そのローソンの近くには、そこそこの大きさの会社がいくつかある。
たばこを吸っているのは作業服姿やらスーツ姿とさまざまで、どうも「違った会社の人たち」のようだ。
だが全員、何となくいい雰囲気でたばこ片手に話をしている。
もしかしたら、その雑談の中で、異業種コラボ的な何か新しいアイデアが生まれたりするのではないだろうか。
アイデア誕生とまではいかなくても、朝のそのわずかな時間が、その人たちにとってかけがえのない時間になっているのではないか、と想像する。
私は基本的に、毎夜スイミングに行く。
更衣室で、あるいはプールで顔を合わせるのは、いつも同じ人たちだ。そして、ふつうにあいさつし、とりとめのない会話をすることが習慣になってしまっている。
だから、いつもいる人がいないと大丈夫かな、と思う。
これって、本当はすごく大事なんだと思う。
もちろん、それこそが煩わしいという人がいることもよくわかる。
朝、病院の待合室で、老人たちが「今朝は〇〇さんが来ていないけど、どこか悪いんじゃないだろうか」と言いあっている、という話を聞いたことがあるが、これも同じ。単純に「笑い話」とか「皮肉」では済まされないものがある。
平和で安全な生活が、天災とか戦争とか、何らかの原因で脅かされたとき、ローソン前の喫煙所やスイミングや病院での一時がいかに大事なものだったかを思い知るに違いない。
ママ友も モク友飲み友 平和ゆえ
鞠子