〈京アニ放火殺人事件〉
被告に死刑判決が出た。
その判決が妥当かどうか、私には分からない。
ただ、どんな判決が出ても亡くなった人たちは帰ってこないし、このことで心に傷を負った人はゴマンといるに違いない。
被告の心の中も、実際のところは全く分からない。
でも、それより先、真っ先に頭に浮かんだのは、青葉被告を治療した医師のことだ。
青葉被告も瀕死の重傷だった。
必死に治療する医師たちは、非難の言葉を浴びせられた、という記事が心に残っている。
医師なんだから人命を救うために全力投球するのは当たり前のことなんだろうが、その当時、どんなにか葛藤があっただろうかと想像する。
そんな思いをして助けた人を、罪ゆえに「殺せ」という命令が出た。
今、治療に当たった医師たち、看護師たち、医療従事者たちの心中を思うとやりきれなくなる。
〈無免許運転で事故を起こした県議〉
長野県議が人身事故を起こし、そこで初めて「免許が失効していた」ことに気がついた。
ニュースでは「無免許運転」と言ったので、許せざる行為だ、と思ったが、実際は免許更新の年を今年だと思い込んでいたため、更新手続きをしなかったことが発端らしい。
とはいえ、横断歩道をわたっていた人をはねたこと自体、過失は大きいし、明らかに無免許運転だし、やっぱり許されることではない。
…だがしかし、今となっては、この県議を一方的に責めて終われない。
ほんの数年前なら、免許更新年を間違える、誤って別の年だと思い込む、そんなことありえんと一刀両断にできたが、私も同等なのである。
手帳に書いても忘れるときがある。
その辺にある紙にメモったりしたときには、紙自体がどこかにいってしまって大騒動になる。
あるべきものがあるべきはずのところにない。
あるべきところに置いたはずのものが、そこに置かれてない。
そんなこと、ザラにある。そのたびに、自分に腹がたって仕方がない。
県議のしてしまったことを正当化しようという気は全くない。だが、同等の自分を思うとやりきれなくなる。
〈若い人が亡くなった〉
某客様の兄弟が亡くなった、という話が耳に入ってきた。
客様の年齢からすると、30代か40代か。
亡くなった理由は「新型コロナ」。
基礎疾患のある人だったのかもしれないが、引き金を引いたのはコロナだったそうだ。
これはやりきれない。
客様がどんなに悔やんでいるかと思うと、ますますやりきれない。
哀しくて やりきれない日の 曇り空
鞠子