「機械に知性や感情が宿る、といったことは、私は『ない』と言い切ります」
デジタル社会とどう向き合うかと題したインタビューで、生成AIの活用に触れつつ、情報学者がこう断言していた。
専門的なことは全く分からないが、私はこの先生のように断言はできないような気がする。
膨大な情報が蓄積されていく中で、「こういう場合に発せられた〇〇という言葉には、××という感情が宿っている」という分析がなされ、これも蓄積された結果、機械も「知性や感情みたいなもの」を持つのではないか、と想像してしまうので。
そしてそれは、「みたいなもの」であるがために、ものすごく怖いことだと思う。
例えば、
AIによる自動音声ニュースは、一語一語正確かつ明確で、非常に聞き取りやすい。
本来、ニュースは正確に明確に伝わることが最重要事なはずで、だったら自動音声ニュースはベストなはずなのだが、決してそうは思えないところがややこしい。
これもドシロートの考えだが、不思議なことに、多少のズレ、多少の間違い、抑揚、緩急等々、正確&明確じゃない方がより伝わったりするのではないか。
ただ、AIに私が恐れているような「知性や感情みたいなもの」が搭載されると、若干不正確&不明確な自動音声ニュースとなって、「…っぽく」なって、結果、精度を増すかもしれない。
そうなったら、本当に怖いな。
もう人はいらなくなる。
ぜひとも、情報学者の先生が断言したようであってほしい。
本心を 確かめようと 触れてみる
鞠子