朝刊に載っていた「やりたいことは我慢せず」という見出しに魅かれた。
書いた人の肩書からすると、大病を患ったか、現在闘病中の方らしい。
この方が言うには、「がんの治療中であっても、健康のために自分の行動を制限したり我慢したりすることはさほどしていない」のだそうだ。
肉体的な健康だけを考えれば、制限や我慢は必要かもしれないが、精神的な健康においてはそうではない、と。
そもそも人生、好きなことをして過ごしたいではないかとバッサリ歯切れがいい。
だが、かといってこの方は、単にやりたいことをやれと言っているのではない。好きなことをやった結果、何が起きても自分で責任を取る覚悟が不可欠だと説いている。
私だけかもしれないが、自分の身体の不調に対し、医師に「こうしろ」と言われるとどこか安心してしまうのだ。
何かよろしくない症状があったとき、「お酒をやめたら治る」「この薬を飲んだら治る」「塩分を半分にしたら治る」etc.etc.、そんなふうに断言してほしいのだ。そうしたら、恐らく私はその通りにする。
でも、よく考えたらこれっておかしな話だよねえ。
自分の身体に関する選択を、他人に委ねていることになる。
そして、何が起きても自分で責任を取る覚悟から無責任にも逃げているということになる。
いくら頑張ったって、長くて100年なのだ。
それも、もう半分以上消化してしまった私には、健康のためにやりたいことをやらない、などと言っている余裕はもう、ない。
よしんばやりたいことをやらずに寿命が延びたところで、その延びた分が寝たきりだったら意味がない。
…が、「お酒をやめたら治る」と言われたら、やめちゃうだろうな、きっと。
ま、取りあえず、今日のところは飲んでおこう。
(続く)
不調多々 解消した今日 強気出す
鞠子