昨日、職場のスタッフ会議で、一般的な会社における「後継者」であるオトコ後輩が、えっと思うことを口にした。
「鞠子さんの代わりになる人(←つまり、今、私がしている仕事をする人)を何とかしないと、安心して仕事ができない」
これまで、彼は間違いなく、私の仕事を軽視していた。代替はすぐ見つかるし、誰がやってもすぐできると思っていた。ところが、あにはからんや、別の人をあてがってみたら、ことは全然簡単じゃないことが判明した。それどころか、おちおち自分の仕事すらしてられないことに気がついた。
つまり、私の仕事は彼の中で「レベルアップした」ことになる。
…のだが、それ、素直にうれしいと思えなかった。
むしろ、どっと気が重くなった。
私は今や嘱託という立ち位置なので、彼が言う通り「私の代わりになる人」を早急につくらなければならないのは自明の理だ。
私もそれはよく分かっている。そうするべきだと思う。そういう人が出てきたら、とりあえず私は今より楽になり、ダブルワークにももっと時間が割ける。
だけど、その「過程」、つまり、次の人に仕事を「教える」ことが嫌。たまらなく気が重い。
そもそも、「教える」という行動自体が、全くもって苦痛なのだ。
私は、指導者とかリーダーという立場には全く向いていない。
いわゆる「職人気質」。
そんなことを、こんな年になって、今ごろつくづくと確信した。
この苦痛から逃れるためには、どうにもできない事情、例えば「病気」とか、究極「急死」とかという理由で、突然リタイアするしかない。
これは全くもって、無責任極まりない話だが。
この仕事 言葉にできぬ 表せぬ
鞠子