先週、町田康さんの講演会(←正確には、トークセッションみたいな感じなのだが)に行ってきた。

去年も同じ場所であり、今回はその続き、というかまとめ、というか最終編というか。

 

このセッションの中でスクリーンに映し出された福田恆存氏の言葉、

 

「言葉自体に差別の意味はない。その言葉を使う人の心に差別がある」

 

にいたく共感した。

メモれる道具を何も持っていなかったので、もちろんスマホ撮影や録音も禁止だったし、実際の言い回しは正確じゃないのだが、意味的に本当にその通りだと思った。

大げさに言えば「目からうろこが落ちた」くらい、心にずきっときた。

 

ところが町田康さん、スクリーンをチラと見て、にべもなく、「ま、当たり前のことですが」と言い放ったのである。

あまりにもあっけなく、そう言い放った。

そして、その言葉自体を特別取り上げる感もなく、トークは続いていった。

 

そのにべもなさ&あっけなさが、これまた心にずきっときた。

 

たしかに当たり前のことなのである。

差別用語であってもそれを口にする人、口にするシチュエーション、前後の話の流れetc. 差別なのか差別でないのかは言う人・聞く人の心の中にあるに決まっている。

だけど私は目からうろこが落ちた。

康さんにとっては、当たり前すぎて取り上げるほどのことではなかった。

 

もちろん、町田康さんと私を同じ土俵で比較するのは間違っているが、それにしてもあまりの差だった。

その差の方が、むしろ非常に興味深かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一言の 奥行き色合い 透け光り

鞠子

 

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