子どもって、ちょっと見ない間にものすごく大きくなるものでしょう。
先だっても、身内の葬儀で半年ぶりに会った中学生が「おじさん」みたいになっており、びっくりした。この急成長ぶり、街で会ってもわからないのではないかと思えるくらいだった。
…なんだけど、我が家の隣の隣の、その隣の家の子2人。
全然大きくならないんである。
私が町内の班長をしていたのは、コロナ禍よりも前。それも確か、数年前。
市民運動会の出場者を我が班から何人か出さねばならず、その隣の隣のその隣の若夫婦に全部押しつけたのである。
彼らは子どもがいるし、子どもたちも出るからということで、快く引き受けてくれた。
そのときの子ども2人と、現実に今、目の前にいる子ども2人が、全然同じに見えるのだ。
市民運動会に出てくれた時も、今も、小学1年生と幼稚園年長児に見える。
どう見ても、全く成長していない。
もしかして、「総入れ替え」したんじゃないか、などという恐ろしい疑惑がよぎってしまった。
前の2人はどこへ行ったんだ……
そんなこと、あり得ない、と思うでしょう。
だけど、我が家の隣家で、似たようなことがあったのである。
あるとき、私と同年代の奥さんが乳児を抱いていた。「次男の子どもだ」とおっしゃり、数回、お母さんらしき若い女性を見かけたが、知らない間に子どももその女性も見かけなくなった。
そのうち、次男も見ないようになった。
みんな、どこへ行ってしまったのか。不思議でならない。
そして、隣の隣のその隣の若夫婦、奥さんの方が、この隣家の長女、かつ次男の姉なのである。
隣の家も、隣の隣のその隣の家も、一見、ごく普通の家族だ。
だが、他人には見えないいろいろがきっとある。
どこの家だって、きっとある。
隣の隣のその隣の家の子どもたちの声を聞くたび、私はなんとなく恐怖を感じる。
裏庭の 荒れた一角 もしかして
鞠子