この数日の間で、仕事関係の訃報が複数入ってきた。
もともと患ってらっしゃって亡くなった方、この前、会った時には元気だったのにという方、年齢も若い方からお年寄りまで。
季節の変わり目はからだに大きな負担がかかる気がする。
今年など特に急激に暑くなったり寒くなったりで、私自身、相当こたえていることを自覚している。
昨日、某身内がもうダメらしいという電話をもらった。
医師からは、長くて今月いっぱいだと言われたそうだ。
この人が治らぬ病にかかっており、治療を中断したことは知っていたが、こんなに急激に悪化するとは思いもしなかった。看ている家族も、その急変ぶりに驚いていた。ただ、朝昼晩関係なく、医師や看護師や薬剤師や介護士等々、入れかわり立ちかわり訪問してくるらしく、その様子を見て、家族の一人が「死とはもっと厳粛なものかと思っていたけど、なんだか毎日お祭りみたい」と言っていた。
あのとき、治療を中断しなかったら、今月末じゃなくて来月末だったのだろうか。
あのとき、セカンドオピニオンなんか受けて別の病院に変わっていたら、今年じゃなくて来年だったのだろうか。
いや、最初の病院に行くのが1か月早かったら……
死は避けて通れないが、死までの時間はその選択一つで伸びたり縮んだりする。
それは何と理不尽なことか、と若いころは思ったが、今はもうそんなふうには思わない。
病気にかかったのも、初診があの日だったのも、治療を中断したのも、病院を変わらなかったのも、生まれたときから決まっていた「運命」だったと思えてならない。
つまり、
私がこれからどういう人生を生き、いつ、どうやって死ぬのか、もう決まっているわけで、じたばたしても仕方がないのだ、と。
手を当てて 脈打つ胸に 生思う
鞠子