ピアニストの館野泉さんが「空白」について書いてらした。
脳出血で倒れ、右手が麻痺してしまった館野さん。
ピアニストにとって、それはどんなに残酷なことだろう。
だが館野さんは、「左手のピアニスト」として今、大活躍中だ。
その館野さん、曰く「私の人生で大切な3つの時間があった」。
その1つ目は、東京大空襲の直撃弾で家が全焼し、栃木県の農家に疎開したこと。2つ目は、東京芸大の受験に失敗して、1年浪人したこと。そして3つ目は、脳出血で2年間、無為に過ごしてきたこと。
つまりこの3つの時間、館野さんはピアノから離れて「空白」の時間を過ごしたのだ。
そしてその空白が、「これから生きていくために必要な準備期間となった」と。
今って、本当にこの「空白」が少なくないか。
それどころか、すべてが空白を埋めるよう、埋めるよう、進んでいる気がしてならない。
館野さんの空白は、3つともそこそこ長い期間だけど、もっと短いスパンで見ても、空白はどんどんなくなっている。
現に私自身、毎日、追い詰められている。
毎日毎日、時間がない感、アリアリ。
そのくせ、「何もしない時間」などできようものなら不安で仕方がない。
今や、空白は意識して自分で作り出さなければならないものになってしまっている。
これってやっぱり人間の生理に反している。
空白が ひとマスふたマス 黒転す
鞠子