経済思想家である斎藤幸平東京大学准教授が書いた『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』の紹介記事を読んで、すごく痛いところを突かれた気がした。
「学者は世間知らず」という批判を、ご自分のこととして真正面からとらえておられる姿勢がすごい、と思うのだ。
学者だけではない。
私自身もそう。
仕事柄、偉そうに「こうあるべき」を口にするが、実際、体験したわけでもなく「頭でっかち」なだけ。そのことを「忘れてはならない」と自分に言い聞かせてやってきたつもりだが、知らず知らずのうちに上から目線になっている。
斎藤先生曰く「私はこれまで、社会の問題を学ばなくても生活してこられた。これがまさにマジョリティー(多数派)の特権性だと思う」
そして、「取材を通して、今までの自分の限界を自覚できた」
どちらも、胸に響く。
ウーバーイーツもやってみた。
阪神大震災の被災者らが住む団地群にも実際に足を運んだ。
気候変動に関する抗議デモに参加した人たちにじかに取材した。
本の題名からすると、おそらく森林事業みたいなものを体験し、現地で水俣病の取材もされたのではないかと思う。
それらから得たこと、学んだことが、また、全くもってその通りであり、とても共感できる。
実際、ウーバーイーツ体験から学んだこととして、
「資本主義社会の効率的な進化ではなく、ロボットにやらせるとコストが高過ぎる作業を人間が埋めているような虚無感」
阪神大震災の被災者らが住む団地群から学んだことは、
「(そのすぐそばに巨大な石炭火力発電所が建てられたことを見)一部の人々への負担をしわ寄せすることによって、問題は『私たち』から見えなくなっていること」
どれも胸を突く。
現場を知らずして、現場を体験せずして、現場で生きずして、何がわかると言うのか。
自身の傲慢さに思い至り、本当に、胸が痛い。
終焉が 見えてきたころ 不足知る
鞠子