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新しい帽子を買ってうれしがっている人があるかと思うと、また一方では、古いよごれた帽子をかぶってうれしがっている人がある。

 

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気象学者がcirrusと名づける雲がある。

白い羽毛のようなのや、刷毛(はけ)で引いたようなのがある。

通例巻雲(けんうん)と訳されている。

私の子供はそんなことは無視してしまって、勝手にスウスウ雲と命名してしまった。

 

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…寺田寅彦の『柿の種』は、終始この調子。

難しい言葉や言い回しは全然使われていない。

一作一作が、ごく短い。

何気ないことを何気なく記した随筆。

誰でも読める。誰でもわかる。

そしてなぜだか胸に刺さる。

 

寺田寅彦。

著名な物理学者。

なのに、なんなんだ、この人。何でこういう文が書けるのか。

 

昨日書いた反田恭平さんと務川慧悟さんもそう。

生まれ持った才能もあるだろうけど、どれだけ努力し、どれだけ練習していることか。だが、そういう「圧」を、聴衆に全く感じさせない。

 

生まれ持った才能が突出していようとも、勉強したことや研究したことや練習したことが「すさまじい質・量」であっても、それをおくびにも出さず、誰にもわかるように、誰をも感動させるように発出する。

それって、なかなかできることじゃない。

おそらくだが、それができるのは、自分自身まだまだ納得していないのと、ひたすら考え、練習し続けているのと、それから「人間性」だと思う。

 

すごいなあ。

憧れる。

 

 

 

 

 

 

天災は忘れたころにやってくる

寺田寅彦

 

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