昨日、当ブログに「出てこい、こら」と記したがために、暴力行為に緊張感も危機感も失せてしまった旨を記し、地元新聞にケチをつけたが、今日もどうにも気持ち悪くて我慢がならない一文を発見した。
「これが映画初出演だった奥田の起用が成功した」
「これが」が何を指しているかは、これより前の文章で十分理解できる。だから、この一文が言わんとする意味は、よくわかる。だが、文としては、どうにも落ち着かない。
我慢がならない。
もっと言ったら許せない。
小説とか文学作品なら、話は別。
例えば作品全体を通して、こういう落ち着かない文章で埋められていれば、それは作者の文体として、むしろ興味深く読めるかもしれない。
だが、新聞記事(←もう少し具体的に言えば、コラム)ならば、これはイラつく。
おまけに、書いた人が新聞社の「編集委員」という肩書なのも、イライラに拍車をかける。
ミスプリなのか、わざとなのかも判断しづらい。
…って、私が偏屈なだけなんだろうか。
終始、こういう調子であることが「器が小さい」たる所以なんだろうか。
考えてみれば、どうでもいい話だよねえ。
人生は イラついてる間に 終わりくる
鞠子