客様であるK社長と電話しているなかで、今年の春、奥様を亡くされたことを初めて聞いた。
ご本人の希望等もあり、仕事関係者には公にしないまま今に至っているそうだ。
病名を聞いて、はっとした。
今、私の身内で、かつその奥様と同い年で、同じ病気を患っている人がいるからだ。
治療の内容、経過、そして断念に至るまで、全く同じ状況だった。
治療を中断した段階で、奥様は「余命半年」と宣告されたが、結果、2年、生きておられたとのこと。
私の身内は、「余命1年」と宣告されている。
余命って、何なのか ―― なんだかとっても複雑な気持ちになった。。
奥様は半年。身内は1年。だけど私だって、ある意味「余命は決まっている」ではないか。
私だけじゃない。生きている人みな、「余命は決まっている」。ただその長さが「明確には」わからないだけだ。
奥様や身内は一応、長さを提示されたものの、それすら確実ではない。奥様の例から明らかだ。
長さが明確にはわからない、と言ったが、私だったらどう頑張っても、あと40年以下。
1年は短いが40年は長いか?
それも一概にはyesと言えない気がしてきた。
つまり「余命」にこだわっても意味がない。
結局「今」しかない。
…そうして自分を納得させるしかなかった。
生命の 長短嘆いて 秋の夜
鞠子