複数の書類がはさまれた町内の回覧板が回ってきた。

 

●市民運動会…感染拡大防止のため中止

●防災訓練…感染拡大防止のため中止

●公園(←町内にある)掃除…開催。ただし、入り口で検温・手指消毒、ならびに住所、氏名記入。

●敬老会…感染防止のため中止

 

上記4行事についての開催・中止が、それぞれA4紙に、理由と共に記してあった。

おそらくだが「市民運動会」と「防災訓練」と「公園掃除」は、自治体の判断に委ねられているのだろうと思う。

で、気になったのが「敬老会」。「やりたい。やってあげたい。だが、県や市の方から『くれぐれも感染拡大しないようにせよ』『感染拡大しない方法を考えよ』とやかましく(←などという書き方ではもちろんないが)、断腸の思いで中止することにした」と、とにかく長ったらしい文章による弁解がなされていた。

 

今やもう、何の制限もない。

人の行き来は自由だし、海外からどんどん人は入ってくるし、イベント開催などもコロナ禍以前に戻っている。違うのは、個々人の「心中」だ。

市民運動会や防災訓練の責任者は、中止を決断し、公園掃除の責任者は実施を決断した。敬老会の責任者は、行政の圧迫(?)に耐えかねて、中止にした。

どれも正しくて、どれも間違っているのだ。

もっと言えば、責任者がどんな決断をしようとも、参加する個々人が「自分で決めるしかない」。

これこそ、究極の自由。

 

……しっかし、自由とは、かくも疲れるものだったのだ。

 

 

 

 

 

 

清掃を コロナにかこつけ サボる我

鞠子

 

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